tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『素敵な日本人』東野圭吾

素敵な日本人 (光文社文庫)

素敵な日本人 (光文社文庫)


一人娘の結婚を案じる父に、娘は雛人形を指差して大丈夫という。そこには亡き妻の秘密が……。(「今夜は一人で雛祭り」)独身女性のエリーが疑似子育て体験用赤ちゃんロボットを借りたところ……。(「レンタルベビー」)世にも珍しい青色の猫。多くの人間が繁殖を目論むが……。(「サファイアの奇跡」)日本人に馴染み深い四季折々の行事を題材にした4編と、異色のミステリ5編を収録!

個人的には東野圭吾さんは読みごたえのある長編の方が好きですが、短編も悪くないなあと思わせてくれる作品集でした。
たっぷり9編も収録されていて、ジャンルもミステリからSF、コメディーからほっこり系まで、ひとつひとつ違ったタイプのお話が読めて飽きることがありません。
ただ、『素敵な日本人』というタイトルはなんだか微妙に内容と合っていない気がします。
最初の何編かは日本の年中行事を題材にした作品が続くので、このコンセプトで最後まで進むのかと思いきや、途中でその流れが断ち切られるので少々違和感がありました。
それでもどの作品もリーダビリティが高く、ミステリとしてもよくできた話が多いのは、さすが東野さんといったところでしょう。
それでは各作品の感想を。


「正月の決意」
警察官たちのドタバタぶりといい加減さが笑えるコメディー作品。
ラストはなんだかすがすがしい気分になりました。
「新年の始まり」にはこういう明るいタッチの話がよく合いますね。


「十年目のバレンタインデー」
学生時代に付き合っていた男女がバレンタインデーに再会して食事をする話です。
恋愛ものかな、と思いながら読んでいたら、途中から話は意外な方向へ。
男性側と女性側、それぞれの「秘密」が明らかになる瞬間が気持ちいい作品でした。


「今夜は一人で雛祭り」
娘が嫁ぐことになった父親の心境がなんとも切なく、かつ微笑ましい作品です。
雛人形に隠された亡き妻の秘密、そして娘の想いを知った父親の、少しさみしい雛祭りの情景に、切ないながらも心が温まりました。


「君の瞳に乾杯」
合コンで出会ってアニメ好きという共通点で意気投合した男女の話。
これも恋愛ものかと思いきや、驚くような結末が待っていました。
こういう職業って実際にあるのかな、というところが気になります。


「レンタルベビー」
おそらく近未来の日本が舞台で、あるカップルが本物の赤ちゃんそっくりのロボットをレンタルするサービスを利用して子育てを疑似体験します。
設定が面白い上に、オチも秀逸で愉快な気持ちになりました。
この本の中では本作が私にとってベスト作品です。


「壊れた時計」
とある犯罪を行った男が刑事に追いつめられるまでを描いた倒叙ミステリです。
なるほど!と思わせる伏線の張り方がいいですね。
ミステリとしてはこれがベスト。


サファイアの奇跡」
ある少女と猫との交流の話ですが、これも途中から意外な展開に。
SFのようなファンタジーのような、ちょっと不思議な雰囲気が好きです。
実際にこんな猫がいたら、という想像も楽しいですね。


「クリスマスミステリ」
交際していた女性を殺そうとした俳優の話ですが、倒叙ミステリかと思いきや少しひねりがありました。
最後に明らかになる、ある人物のあるたくらみに込められた悪意に背筋が寒くなります。
相手の方が一枚上手だった、という話です。


「水晶の数珠」
一度だけ時間を戻すことができる、不思議な数珠を亡くなった父から相続した息子の話です。
これもファンタジー風味の物語ですが、父親の息子に対する思いにほっこりしました。
なかなか使いどころの難しそうな数珠の設定が面白いと思います。


気軽に読めて、読後感もよく、万人におすすめできる短編集でした。
☆4つ。

2020年6月の注目文庫化情報


6月に入って暑くなってきました。
体調管理に気をつけないといけませんね。


さて、今月はおなじみ夏の文庫フェアが各社開催されるはずですが……ちょっと新刊ラインナップがさみしいような。
いえ、あくまでも例年に比べての話で、人気作家の人気作がしっかり文庫化されるようですが。
ノベルティも気になるところですが、角川文庫がいちはやく応募券での懸賞を実施すると発表した以外は、まだ情報がないようです。
毎年夏の楽しみになっているので、何もないのはさみしいですね。
続報を待ちたいと思います。

『たゆたえども沈まず』原田マハ

たゆたえども沈まず (幻冬舎文庫)

たゆたえども沈まず (幻冬舎文庫)


19世紀後半、栄華を極めるパリの美術界。画商・林忠正は助手の重吉と共に流暢な仏語で浮世絵を売り込んでいた。野心溢れる彼らの前に現れたのは日本に憧れる無名画家ゴッホと、兄を献身的に支える画商のテオ。その奇跡の出会いが“世界を変える一枚”を生んだ。読み始めたら止まらない、孤高の男たちの矜持と愛が深く胸を打つアート・フィクション。

原田マハさんのアート小説はやはり読み応えがありますね。
今回は誰もが知るあの巨匠、フィンセント・ファン・ゴッホと、彼を支えた弟や日本人画商たちとの交流を描く物語です。
史実と創作をうまく混ぜ合わせ、私のような芸術に詳しくない者でも強く引きつけられる魅力を持った作品でした。


主人公はフィンセントではなく、日本からパリへやってきて、学生時代の敬愛する先輩である林忠正のもとで画商として働き始めた重吉 (じゅうきち) という青年です。
彼が出会ったのが、テオドルス・ファン・ゴッホ (愛称:テオ)。
重吉とテオは画商としてはライバル関係ですが、交流を重ねるうちに唯一無二の友人となっていきます。
さらに重吉はテオを通してテオの兄であるフィンセントとも知り合い、彼の描く絵に強く惹かれます。
フィンセントも重吉や忠正と知り合ったことにより日本の浮世絵に出会い、その芸術性に衝撃を受け、日本に恋い焦がれるようになります。
林忠正は実在の人物で、浮世絵をはじめとする日本の美術作品をヨーロッパに紹介するのに大きな役割を果たした人物です。
彼がフィンセントと実際に交流があったかどうかはわからないようですが、浮世絵ブームのパリでフィンセントが自身の創作にも大いに浮世絵の影響を受けたこと、そしてその浮世絵ブームの立役者が忠正であったということは事実です。
そこから想像力を膨らませて忠正の助手として働く重吉という人物を創り出し、フィンセントと忠正を結びつけたところが、原田マハさんの物語づくりのうまさなんだろうと思います。
史実をしっかり踏まえた上で創作されたリアリティがあるからこそ、それまで歴史上の人物としてしか意識していなかったフィンセントの生涯を、単なる事実を並べた伝記ではなく登場人物の心情が伝わる血の通った物語として楽しく読むことができました。


かの有名な自分の耳を切り落とした事件や、自ら拳銃で命を絶った最期から考えて、フィンセント・ファン・ゴッホは精神的に不安定な人だったということは明らかですが、その生涯を詳しく知ってみると、予想以上にどうしようもない人だったんだなという印象が否めませんでした。
ろくにお金も稼げず経済面は弟のテオに頼りきり。
しかもテオから仕送りしてもらったお金を酒や娼婦につぎ込んでしまう。
そんな兄に振り回されるテオの苦悩が手に取るように伝わってきます。
それでも最後の最後まで兄を見放せないテオの献身ぶりは感動的ですらあります。
誰よりもフィンセントの画家としての才能に惚れこみ、いつかきっと世間にも認められるはずだと信じたテオは、フィンセントを支えているようで、彼自身もフィンセントに支えられている部分が大いにあったんじゃないかなと思いました。
フィンセントはどうしようもないけれど、そんなどうしようもない兄を見捨てられないテオもまた違った意味でどうしようもなくて、やっぱり兄弟なんだなとも思えます。
時に反発し、離れることがあっても、兄弟の間に誰も分かつことのできない強く太い絆があったことは間違いないと思わせるエピソードの数々に心を打たれました。
そんな兄弟に肩入れする重吉、重吉とは違い少し距離を置きながら兄弟を見守る忠正のふたりも、兄弟にとって運命的な人々だったといえます。
日本に行きたいと訴えるフィンセントに、忠正が別の場所へ行くよう啓示を与える場面は特に感動的でした。
フィンセント・ファン・ゴッホが今日においても高く評価される人気の画家になったきっかけを作ったのが日本人画商だった、という想像は日本人として非常に楽しいものですし、なんだか誇らしい気持ちにすらなりました。


フィンセント・ファン・ゴッホが生きた時代のパリの、馬車が行き交いカフェの賑わいが聞こえてくるような街の描写も素晴らしかったです。
読後、作中に登場するゴッホの作品をいくつかネット検索して見てみましたが、それぞれの作品がどのような状況で描かれたか、物語が結びついた状態で眺める絵画には、素の状態で眺めるときとはまた違った感慨のようなものがあります。
「ひまわり」のような有名な作品以外にも魅力的な作品がたくさんあるとわかり、ゴッホ展がどこか行ける範囲の美術館で開催されたら観に行ってみたいと思いました。
☆4つ。