tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『たゆたえども沈まず』原田マハ

たゆたえども沈まず (幻冬舎文庫)

たゆたえども沈まず (幻冬舎文庫)


19世紀後半、栄華を極めるパリの美術界。画商・林忠正は助手の重吉と共に流暢な仏語で浮世絵を売り込んでいた。野心溢れる彼らの前に現れたのは日本に憧れる無名画家ゴッホと、兄を献身的に支える画商のテオ。その奇跡の出会いが“世界を変える一枚”を生んだ。読み始めたら止まらない、孤高の男たちの矜持と愛が深く胸を打つアート・フィクション。

原田マハさんのアート小説はやはり読み応えがありますね。
今回は誰もが知るあの巨匠、フィンセント・ファン・ゴッホと、彼を支えた弟や日本人画商たちとの交流を描く物語です。
史実と創作をうまく混ぜ合わせ、私のような芸術に詳しくない者でも強く引きつけられる魅力を持った作品でした。


主人公はフィンセントではなく、日本からパリへやってきて、学生時代の敬愛する先輩である林忠正のもとで画商として働き始めた重吉 (じゅうきち) という青年です。
彼が出会ったのが、テオドルス・ファン・ゴッホ (愛称:テオ)。
重吉とテオは画商としてはライバル関係ですが、交流を重ねるうちに唯一無二の友人となっていきます。
さらに重吉はテオを通してテオの兄であるフィンセントとも知り合い、彼の描く絵に強く惹かれます。
フィンセントも重吉や忠正と知り合ったことにより日本の浮世絵に出会い、その芸術性に衝撃を受け、日本に恋い焦がれるようになります。
林忠正は実在の人物で、浮世絵をはじめとする日本の美術作品をヨーロッパに紹介するのに大きな役割を果たした人物です。
彼がフィンセントと実際に交流があったかどうかはわからないようですが、浮世絵ブームのパリでフィンセントが自身の創作にも大いに浮世絵の影響を受けたこと、そしてその浮世絵ブームの立役者が忠正であったということは事実です。
そこから想像力を膨らませて忠正の助手として働く重吉という人物を創り出し、フィンセントと忠正を結びつけたところが、原田マハさんの物語づくりのうまさなんだろうと思います。
史実をしっかり踏まえた上で創作されたリアリティがあるからこそ、それまで歴史上の人物としてしか意識していなかったフィンセントの生涯を、単なる事実を並べた伝記ではなく登場人物の心情が伝わる血の通った物語として楽しく読むことができました。


かの有名な自分の耳を切り落とした事件や、自ら拳銃で命を絶った最期から考えて、フィンセント・ファン・ゴッホは精神的に不安定な人だったということは明らかですが、その生涯を詳しく知ってみると、予想以上にどうしようもない人だったんだなという印象が否めませんでした。
ろくにお金も稼げず経済面は弟のテオに頼りきり。
しかもテオから仕送りしてもらったお金を酒や娼婦につぎ込んでしまう。
そんな兄に振り回されるテオの苦悩が手に取るように伝わってきます。
それでも最後の最後まで兄を見放せないテオの献身ぶりは感動的ですらあります。
誰よりもフィンセントの画家としての才能に惚れこみ、いつかきっと世間にも認められるはずだと信じたテオは、フィンセントを支えているようで、彼自身もフィンセントに支えられている部分が大いにあったんじゃないかなと思いました。
フィンセントはどうしようもないけれど、そんなどうしようもない兄を見捨てられないテオもまた違った意味でどうしようもなくて、やっぱり兄弟なんだなとも思えます。
時に反発し、離れることがあっても、兄弟の間に誰も分かつことのできない強く太い絆があったことは間違いないと思わせるエピソードの数々に心を打たれました。
そんな兄弟に肩入れする重吉、重吉とは違い少し距離を置きながら兄弟を見守る忠正のふたりも、兄弟にとって運命的な人々だったといえます。
日本に行きたいと訴えるフィンセントに、忠正が別の場所へ行くよう啓示を与える場面は特に感動的でした。
フィンセント・ファン・ゴッホが今日においても高く評価される人気の画家になったきっかけを作ったのが日本人画商だった、という想像は日本人として非常に楽しいものですし、なんだか誇らしい気持ちにすらなりました。


フィンセント・ファン・ゴッホが生きた時代のパリの、馬車が行き交いカフェの賑わいが聞こえてくるような街の描写も素晴らしかったです。
読後、作中に登場するゴッホの作品をいくつかネット検索して見てみましたが、それぞれの作品がどのような状況で描かれたか、物語が結びついた状態で眺める絵画には、素の状態で眺めるときとはまた違った感慨のようなものがあります。
「ひまわり」のような有名な作品以外にも魅力的な作品がたくさんあるとわかり、ゴッホ展がどこか行ける範囲の美術館で開催されたら観に行ってみたいと思いました。
☆4つ。