tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

KOBUKURO 20TH ANNIVERSARY TOUR 2019 "ATB" @ホクト文化ホール (3/21)

*演奏曲目のネタバレはありません。


コブクロ結成20周年を記念したツアーが始まりました!
その2公演目である、長野市ホクト文化ホールで行われたライブに遠征参加してきました。
毎回のことだけれど、ネタバレしないように感想を書くのがなかなか大変ですね……雰囲気も知りたくないという人は今のうちに退避してくださいませ。
ライブレポではなく完全に私の個人的な感想文ですが、それでもよいとおっしゃる方はどうぞお付き合いください。


今回のツアー、とにかくすごい。
もうほかに何も言葉が出てこないくらい、すごい。
……ってさすがにそれでは何なので、何がすごかったかをまとめてみたいと思います。


まず、セットリストがすごい。
今回のツアータイトルにある "ATB" とは、昨年リリースされた「ALL TIME BEST」のこと。
ベスト盤を引っ提げてのツアーなので、セットリストは実は非常に予想しやすいわけです。
私はライブ前に予想していた1曲目、バッチリ正解でしたからね。
また、どう転んだって黒田さん瀕死コースのセットリストにしかなり得ないということも、ファンならみなさん予想がついていることと思います。
そこはもう、完全に予想通り、なのです。
ところがところが……。
いやあ、やられました。
楽曲自体には新鮮味はないけれど、セットリストにはちゃんと意外性を持たせることに成功しています。
一言でいうと、コブクロ20年の集大成、ということになるかと思います。
でも、それだけじゃない。
しっかりとこれから先を見据えた、新しい挑戦を盛り込んだセットリストだと思いました。


2つ目は、演出がすごい。
開演前は、なんだかとてもシンプルなステージ構成だなと思ったのですが、始まってみればそんなにシンプルでもありませんでした。
特に、ビジョンに映し出される映像に関する種明かしがされた時には、とても驚きました。
今回9列目というステージに近い席に恵まれて、小渕さんも黒田さんもとても近くにいるのに、歌っているふたりよりもビジョンの映像に目が吸い寄せられてしまう。
非常に斬新というか、豪華な演出で、これをホールからドームまで、全公演でやるの?本当に?と、なんだか今も半信半疑だったりします。


最後は、コブクロがすごい。
そりゃそうでしょ、というツッコミが聞こえてきそうですが、改めてすごい二人組だなぁと思わされました。
今回はいつものライブと段取りが違うところが多くて、ツアー2日目ということである程度落ち着いてはいましたが、コブクロとしても手探り状態でやっていたと思います。
MCも、笑わせるところはもちろん大いに笑わせてくれましたが、全体的にビシッと真面目な印象を受けました。
特に黒田さんがおちゃらけていない。
何しろセットリストが瀕死コースなのでおちゃらけている余裕がないのかとも思えますが、そういうわけでもなさそうです。
衣装に関しても今回はいつもとちょっと違うことをやっているのですが、それが黒田さんの発案であるということを考えても、今回はとにかく「20年分の感謝の気持ちを届けたい」という強い思いがあるように感じました。
だから「ちゃんとしなくては」という気持ちがいつもより強くて、おちゃらけムードにならないんじゃないかな、と。
「どこで力抜いていいのかわからん」とか「いつもの2倍働いてる気がする」とか言いながら、最初から最後まで安定して魂のこもった歌声でしたし、小渕さんのコーラスも黒田さんの熱唱ぶりに合わせてしっかり声が伸びていて、ふたりとも入念に調整してきたんだろうなと思いました。
昨年のツアーはバンドなしのふたりだけの編成だったので、小渕さんがひとりでいろんな楽器を担当して大忙しでしたが、今回は黒田さんのボーカルが前面に出ていて小渕さんはそれを下支えすることに徹しているという感じですね。
ふたりのバランスを調整することで、全然違うライブを作れる、それがコブクロのすごさなんだと思います。


ということで、とにかくすごいライブであることは間違いないです。
これから参加する人にはぜひ楽しみにしておいてほしいと思いますし、公演ごとに雰囲気の違うライブになりそうな予感もあるので、たとえ全公演に参加したとしても飽きることはないだろうと思います。
私はあと大阪での2公演に参加予定ですが、次はどんなライブになるのか、今から楽しみです。
では最後におまけのMCレポをどうぞ!


【初めての人をなくす会】
小渕さん (以下コブ):今日がコブクロのライブ初めての人〜?
お客さん:はーい!!
黒田さん (以下クロ):えっ嘘でしょ。もっかい、初めての人?
お客さん:はーい!!!
クロ:みんなわかってんの?今から説教されんねんで。僕、初めての人をなくす会の会長ですからね。
コブ:はいもう一回聞くよ〜、初めての人?
お客さん:(シーン…)
この後ずっと「今日のライブには初参加の人はいない」ということにされてました(笑)


【後厄真っ只中】
クロ:ひとつ訂正しときたいんやけど、小渕お前、リハの時に「俺ら厄抜けた」って言ってたけどあれ嘘でしょ?まだあと1年あるで、今年は後厄やって。
コブ:お前には言ってなかったけど、実は俺、お前よりひとつ年上やねん。
クロ:何言うてんねん。後厄の小渕さんのために俺善光寺行って厄除けグッズ買ってきたったから。(木刀を取り出し小渕さんに渡す)
コブ:あ、ありがとう…。(木刀を構える) なんか後厄というよりはめっちゃ本厄と戦うって感じやけど。
クロ:ホンマは涅槃像みたいなのがあってそっちの方がよかったんやけど、25万円やったからあきらめた。一瞬の笑いのために25万は出されへん。


【なごや】
コブ:今日はここ名古屋、…あっ……
お客さん:(大ブーイング)
コブ:長野!長野で…
クロ:なごやかなライブができてよかったですね♪

『やがて海へと届く』彩瀬まる

やがて海へと届く (講談社文庫)

やがて海へと届く (講談社文庫)


一人旅の途中ですみれが消息を絶ったあの震災から三年。今もなお親友の不在を受け入れられない真奈は、すみれのかつての恋人、遠野敦が切り出す「形見分けをしたい」という申し出に反感を覚える。親友を亡き人として扱う彼を許せず、どれだけ時が経っても自分だけは彼女と繋がっていたいと悼み続けるが―。

旅先の東北で実際に東日本大震災に遭遇した経験を持つ作者による作品です。
震災から3年という月日が経っているという設定なので、混乱や怒りや悲しみなどの感情の激しい時期は過ぎ去ってはいるものの、そう簡単には割り切れない、静かな悲しみがずっと横たわっている、そんな物語でした。


主人公である真奈の親友・すみれは震災で行方不明になり、今もまだその消息は分からないままです。
すみれと共に暮らしていた恋人の遠野くんや、すみれのお母さんはすでにすみれの死を受け入れていますが、真奈は彼らのそうした態度を許せず、いらだったりもします。
真奈が抱いている感情の正体は、「罪悪感」なのでしょう。
すみれが死んだと認め、心の整理をつけるということは、すみれを、あの震災を忘れるということにつながっていくのではないかということへの、そして帰ってこられないままのすみれを置いて自分だけが前へ進み幸せになることへの、罪悪感。
もしかすると「サバイバーズギルト」と呼ばれるものに近いのかもしれません。
かたくななまでにすみれとの楽しかった記憶や思い出に固執し、いつまでも悲しみを引きずり続ける真奈の姿が痛ましくてなりません。


今年もそうでしたが、震災の発生日が近づくと、メディアではさかんに「忘れない」という言葉が連呼されます。
けれども、「忘れる」ということはそんなに罪深いことなのか。
批判を覚悟で言うならば、私は「忘れる」ということも必要なことなのではないかと思っています。
作中に、私の思いを代弁してくれているかのような箇所がありました。

忘れないって、なにを忘れなければいいんだろう。たくさんの人が死んだこと? 地震津波ってこわいねってこと? 電力会社や当時の政権の対応にまずい部分があったねってこと? いつまで忘れなければいいの? 悲惨だったってことを忘れなければ、私や誰かにとっていいことがあるの?


152ページ 7~11行目より

これは真奈がカフェで出会った女子高生の言葉なのですが、彼女は被災した者と被災していない者とでは、「忘れる」内容がそもそも同じではないと語ります。
私もまったく同感で、忘れるも何も、そもそも被災者ではない私には忘れるような記憶がないのです。
報道や伝聞を通じて知ったことの中に忘れ得ない内容はもちろんありますが、それは被災した人たちが持つ震災に対する記憶とはまったく違ったものであるはずです。
そこを取り違えてはならないし、大地震津波原発事故で得られた教訓は、忘れる忘れないの問題ではなく社会の仕組みに反映させて根付かせていかねばならない。
災害を起こさせないということは不可能なので (原発事故は防げるかもしれませんが)、いつかまた同じようなことが起こるという意味で「忘れない」ということなら理解はできますが、あまりにもつらい記憶、悲しい記憶は、忘れてもいいのではないかと思うのです。
人間は忘れる生き物で、忘れるからこそ生きていけるともいえます。
年月が経つにつれて記憶が徐々に風化していくことは避けられないことです。
でも、それに抗うのではなく、つらく悲しい記憶と折り合いをつけながら、平穏な日々を少しずつ取り戻していくこと、それこそが復興なのではないでしょうか。


真奈とはべつの「私」が語る、幻想的なパートも印象的でした。
悲しみと向き合うことは難しいけれど、不可能なことではないし、悲しみを抱えた自分をまるごと受け入れてくれる人も現れるかもしれない。
そんな希望と救いを確かに感じることができる物語でした。
☆4つ。

『RDG レッドデータガール 氷の靴 ガラスの靴』荻原規子


特殊な家系と力を持つ子女が通う鳳城学園で結成された「チーム姫神」。陰陽師、忍者、山伏の生徒で構成され「人間の世界遺産」を審査する視察団から注目を集める存在だ。その中心人物・泉水子が深行との交際を進めたことを知り、真響はチーム内のバランスを危ぶむ。合わせたように大規模なスケート教室が計画される。スポンサーは真響の実家・宗田家。一族の思惑に戸惑う彼女の前に現れたのは。傑作短編も収録した待望の続編。

続編というよりは番外編という感じもしますが、待望のRDGシリーズ最新作の文庫化です。
最終巻とされた6巻は「ここからなのに!」といういいところで終わってしまって、ちょっとストレスが溜まった感もあったので、こうしてまた新作が読めて本当にうれしいです。


シリーズ本編は主人公である泉水子の視点で描かれていましたが、本作には深行 (みゆき) の視点で描かれた3作と、真響 (まゆら) の視点で描かれた1作との計4編の短編が収録されていて、本編とは少し違う新鮮な雰囲気が味わえます。
深行視点の3編は、シリーズ本編で泉水子視点で描かれた中3の初夏・秋、そして高1の秋の一部の場面を深行視点で描き直したという形なので、「あの時深行はこんなことを考えてたのね!」という部分がたびたびあるのがシリーズ読者にとっては楽しいです。
中3の深行が年齢不相応な冷静さで周囲の人間を観察し、自分の立ち回り方を決めていくその計算高さには、かわいくないやつだなという感想を抱かずにはいられません。
生育環境や立場のせいでもあるので、仕方ないところもあるのですが、正直なところ中3の時にクラスメイトにこんな男子がいたら嫌いになっていたかも、と思ってしまいました。
それでも深行というキャラクター自体は嫌いになれないのですよね。
女泣かせの父親に振り回され、泉水子に対してはリードしているように見えてやっぱり振り回されているところが微笑ましくて、年相応の少年らしさが垣間見える部分も少なくないからです。
水子とはいいカップルだなと思います。


そして真響視点の表題作「氷の靴 ガラスの靴」が時系列的に本編の続きの話ということになります。
水子と深行の関係に進展があったらしいことを敏感に察知し、深行に対して「手が速い」と憤慨する真響がなんともかわいい。
深行とはちょっと違った形でかもしれませんが、真響にとっても泉水子はとても大切な存在なんだなと思えてほっこりしました。
そして、大人っぽい美少女で男子からの人気が高い真響が、実は恋愛には奥手で、高1でも初恋はまだ、というのがまたいいなと思うのです。
そんな真響がついに自分自身の恋愛に向き合うことになるのですが、お相手が意外というか何というか、へえ~と思ってしまいました。
また、この話はスケート教室の話なのですが、真響が幼い頃フィギュアスケートを習っていたことが明かされています。
何をやらせても華やかというかスター性のある真響にぴったりで、氷上を華麗に舞う真響を映像として見てみたいという思いが募ります。
しかも、真響の相手役として一緒にアイスダンスを踊ることになるのはなんと深行。
ますます見てみたいですね。
深行が真響とペアを組んでいても特に嫉妬するでもなくうっとり眺めていそうな泉水子も含めて。
真響の一族の実態も分かって、非常に見どころの多い充実した一編でした。


基本的にはシリーズ本編を読了したファンに向けたボーナス的な1冊です。
おなじみの登場人物たちとの再会に胸が躍りました。
ぜひまた新作が読めたらうれしいのですが……特に真響の恋の行方は気になるところですね。
気長に待ってみようかなと思います。
☆4つ。


●関連過去記事●
tonton.hatenablog.jp