tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『やがて海へと届く』彩瀬まる

やがて海へと届く (講談社文庫)

やがて海へと届く (講談社文庫)


一人旅の途中ですみれが消息を絶ったあの震災から三年。今もなお親友の不在を受け入れられない真奈は、すみれのかつての恋人、遠野敦が切り出す「形見分けをしたい」という申し出に反感を覚える。親友を亡き人として扱う彼を許せず、どれだけ時が経っても自分だけは彼女と繋がっていたいと悼み続けるが―。

旅先の東北で実際に東日本大震災に遭遇した経験を持つ作者による作品です。
震災から3年という月日が経っているという設定なので、混乱や怒りや悲しみなどの感情の激しい時期は過ぎ去ってはいるものの、そう簡単には割り切れない、静かな悲しみがずっと横たわっている、そんな物語でした。


主人公である真奈の親友・すみれは震災で行方不明になり、今もまだその消息は分からないままです。
すみれと共に暮らしていた恋人の遠野くんや、すみれのお母さんはすでにすみれの死を受け入れていますが、真奈は彼らのそうした態度を許せず、いらだったりもします。
真奈が抱いている感情の正体は、「罪悪感」なのでしょう。
すみれが死んだと認め、心の整理をつけるということは、すみれを、あの震災を忘れるということにつながっていくのではないかということへの、そして帰ってこられないままのすみれを置いて自分だけが前へ進み幸せになることへの、罪悪感。
もしかすると「サバイバーズギルト」と呼ばれるものに近いのかもしれません。
かたくななまでにすみれとの楽しかった記憶や思い出に固執し、いつまでも悲しみを引きずり続ける真奈の姿が痛ましくてなりません。


今年もそうでしたが、震災の発生日が近づくと、メディアではさかんに「忘れない」という言葉が連呼されます。
けれども、「忘れる」ということはそんなに罪深いことなのか。
批判を覚悟で言うならば、私は「忘れる」ということも必要なことなのではないかと思っています。
作中に、私の思いを代弁してくれているかのような箇所がありました。

忘れないって、なにを忘れなければいいんだろう。たくさんの人が死んだこと? 地震津波ってこわいねってこと? 電力会社や当時の政権の対応にまずい部分があったねってこと? いつまで忘れなければいいの? 悲惨だったってことを忘れなければ、私や誰かにとっていいことがあるの?


152ページ 7~11行目より

これは真奈がカフェで出会った女子高生の言葉なのですが、彼女は被災した者と被災していない者とでは、「忘れる」内容がそもそも同じではないと語ります。
私もまったく同感で、忘れるも何も、そもそも被災者ではない私には忘れるような記憶がないのです。
報道や伝聞を通じて知ったことの中に忘れ得ない内容はもちろんありますが、それは被災した人たちが持つ震災に対する記憶とはまったく違ったものであるはずです。
そこを取り違えてはならないし、大地震津波原発事故で得られた教訓は、忘れる忘れないの問題ではなく社会の仕組みに反映させて根付かせていかねばならない。
災害を起こさせないということは不可能なので (原発事故は防げるかもしれませんが)、いつかまた同じようなことが起こるという意味で「忘れない」ということなら理解はできますが、あまりにもつらい記憶、悲しい記憶は、忘れてもいいのではないかと思うのです。
人間は忘れる生き物で、忘れるからこそ生きていけるともいえます。
年月が経つにつれて記憶が徐々に風化していくことは避けられないことです。
でも、それに抗うのではなく、つらく悲しい記憶と折り合いをつけながら、平穏な日々を少しずつ取り戻していくこと、それこそが復興なのではないでしょうか。


真奈とはべつの「私」が語る、幻想的なパートも印象的でした。
悲しみと向き合うことは難しいけれど、不可能なことではないし、悲しみを抱えた自分をまるごと受け入れてくれる人も現れるかもしれない。
そんな希望と救いを確かに感じることができる物語でした。
☆4つ。