tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『雪月花 謎解き私小説』北村薫


〝謎〟を解決する手がかりを求め、本から本へ、物語は無限に広がっていく――。
言葉をめぐり本を旅する、この愛おしくも豊かな時間。
名作にはこんなにも尽きせぬ謎があったとは! 
ホームズの相棒ワトソンの〝知られざるミドルネーム〟、ある〝覆面作家〟のペンネー ムに隠された驚きの秘密、芥川龍之介が掌編小説「カルメン」で事実とは異なる光景を書いた理由……そして三島由紀夫から坂口安吾山田風太郎へ。謎が謎を呼び、解決したかと思えば再び本の迷宮に。
ミステリーと本を愛する著者による、とっておきの「私小説」。

北村さんの作品には小説であってもまるでエッセイを読んでいるかのような読み心地を味わえるものがいくつかありますが、本作もそこに含まれそうです。
語り手は北村さん自身だとしか思えない。
書かれていることのすべてが現実に北村さんが体験されたことようにしか感じられないのですが、そうかと思うとこれはフィクションだからすべてが事実だというわけではないと釘を刺すような文章が出てきてドキリとしたりしました。
私小説というものをほとんど読んだことがないのですが、なかなか面白いなと思えたのは、やはり北村さんの作品だからこそだったかもしれません。


というのも、北村作品の読者ならご存じのとおり、北村さんといえば文学への造詣が深く、ミステリ作家として謎解きへのこだわりが強いお方。
本作にはそんな北村さんならではのエッセンスが存分に盛り込まれているのです。
ミステリから文豪による古典的文学作品まで、ありとあらゆる書物や作家が次から次へと登場し、それだけでも本好きにとってはたまりませんが、さらにそうした本や作家に語り手が触れる中で遭遇した謎を解いていくという趣向が、ミステリ好きの心も大いにくすぐってくれます。
語り手自身が自宅の書庫 (うらやましい!) や古書店、図書館などで謎を解く鍵となる本を探し、読んで、手がかりを探っていく過程ももちろん楽しいのですが、語り手の周りにいる「すごい人たち」によるヒントや答えそのものズバリの提示もまた楽しいものです。
文学や作家について詳しい人には同じような人たちが自然と集まってくるのでしょうね。
しかも上には上がいるということも思い知らされます。
まるで名探偵が何人も登場するミステリのようで、非常に豪華で贅沢な気分が味わえました。


いくつかの章に分かれている中で、私が一番心を惹かれたのは最初の章でそのタイトルもズバリ「よむ」でした。
この章の冒頭に出てくる謎は、「シャーロック・ホームズ」シリーズに出てくるワトソンのミドルネームについての謎です。
別にシャーロキアンというわけではないのですがミステリ好きとしては心惹かれないわけにはいかない魅力的な謎ですね。
そういわれてみればワトソンのミドルネームなんて気にしたことがなかった、というかどこかに登場した記憶さえありませんでしたが、「ヘイミッシュ」というのだそうです。
けれどもどうやらワトソンのミドルネームがヘイミッシュだというのはある人物による創作らしい?というところで話題は一旦ワトソンから離れて、語り手が京都の大学へ講演をしに行くという話に移ります。
これがまた興味深く、萩原朔太郎の「天景」という詩に出てくる「四輪馬車」を「しりんばしゃ」と読むか「よりんばしゃ」と読むか、という話が展開され、私自身もどちらがいいかなとあれこれ考えるのが楽しかったです。
私が最初に「四輪馬車」を目にした時は特に悩むこともなく「よりんばしゃ」と読んだのですが、「しりんばしゃ」と読む人の意見にも説得力があります。
どちらが正しいというものでもないのかもしれませんが、音の響きも考慮しながら読み方の解釈がわかれる詩の面白さに気づいてハッとしました。
そんなふうにすっかり詩の話に心をとらわれていたら、最後に再びワトソンのミドルネームの話に戻って語り手の新たな発見が提示されます。
思わぬところで思わぬ発見がある読書の楽しさに改めて気づかされました。


文学、ミステリ、詩歌とその作者たちをめぐる謎という魅力的な題材をじっくり味わえる素敵な作品でした。
読書が単なる暇つぶしではなく、知的好奇心をかきたて、ある本との出会いがまた別の本との出会いにつながっていく豊かな広がりを持った趣味であるということを再認識し、北村さんには遠く及ばないまでも私ももっと幅広い本を読んでいこうと思えました。
謎解きの合間に語られる作家の日常の話題も興味深く楽しかったです。
☆4つ。