tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『神のふたつの貌』貫井徳郎


――神の声が聞きたい。
牧師の息子に生まれ、一途に神の存在を求める少年・早乙女。
彼が歩む神へと到る道は、同時におのれの手を血に染める殺人者への道だった。
三幕の殺人劇の結末で明かされる驚愕の真相とは?
巧緻な仕掛けを駆使し、“神の沈黙”という壮大なテーマに挑んだ、21世紀の「罪と罰」。

貫井さんの初期の作品ですが、未読だったので新装版の刊行を機に読んでみました。
重いテーマが多い貫井さんの作品の中でも、トップクラスの重さと言えるのではないでしょうか。
ミステリの体裁を取ってはいますが、ミステリという枠に収まりきらない、深い哲学のようなものを持った物語でした。


本作は三部構成になっていて、第一部では牧師を父に持つ12歳の少年・早乙女の物語が語られます。
痛みを感じない無痛症という障害を持つ早乙女は、子ども離れした考察力で父親の仕事のこと、父母の関係、そして信仰について、観察し、思考を巡らせています。
肉体的な痛みを感じないから心も痛まないのではないかと思い悩む早乙女少年が、最後にとった思いがけない行動に驚かされました。
なぜこんなことに?と少々頭が混乱したまま、物語は第二部に入り、今度は大学生の早乙女が登場します。
大学に通い、同級生の女子と恋愛をし、コンビニでアルバイトをするという、ごくごく普通の大学生活を送る早乙女でしたが、第二部も終盤に急展開を迎え、がらりと雰囲気が変わります。
第一部と違って早乙女が大学生とはいえ大人といっていい年齢になっているためか、大人びた頭のいい少年という印象だった早乙女が、急に恐ろしく得体の知れない存在という印象になりました。
しかし、早乙女がなぜそんな行動をとるのか、やはりよくわからないまま最後の第三部へ突入します。
第三部は早乙女の視点から語られるパートと、早乙女が牧師を務める教会に通う信者の女性・郁代の視点で展開するパートとの2つの視点が交錯し、また違った雰囲気になります。
そこでは思わぬ真実が明らかになり、早乙女という人物の、そして早乙女の息子である創という青年の、非常に似通った思考と言動、そして信仰があらわになります。


正直なところ、私は本作で作者の貫井さんが描こうとしたテーマを十分に理解できた気がしません。
何を描こうとしているのだろう、と考えながら読みましたが、もっとじっくり時間をかけて読み込まないと、貫井さんと同じ思考レベルにまでは到達できないように思います。
それでも私が本作から読み取ったのは、信仰とは何か、救いとは何か、神とは何か、といった深い問いでした。
貫井さんは本作以外にもいくつか信仰を扱った作品を書かれています。
デビュー作の『慟哭』からして、新興宗教に関連するミステリ作品でした。
本作にもミステリ要素はありますが、ミステリというよりは、より信仰そのものに焦点をあてている作品です。
私は特定の宗教への信仰は持たない人間ですが、早乙女がキリスト教を信仰しながらも自分は神に愛されていないのではないかと思う気持ちは理解できます。
自分のことに限らず、世界にはどうしようもない悲劇や理不尽があふれていて、「神の慈愛」などというものが本当に存在するのか疑いたくなるようなことは誰にでもあるのではないでしょうか。
だからといって自分が悲劇を引き起こすほうへ進んでしまう早乙女には共感できませんが、キリスト教には「原罪」という考え方があります。
人間がみな生まれながらにして罪を背負っているのなら、早乙女が行ったことは、ある意味で神と対極にある「人間らしさ」なのかもしれない……と考え込んでしまいました。


私には少々難しい話で、理解が追い付いていない部分が多々ありそうですが、普段考えないようなことを考える新鮮さを味わえた読書でした。
決して気持ちのいい話ではなく、嫌な気分になる場面もありましたし、早乙女の行ったことはまぎれもない罪で許されないことですが、読後感がそれほど悪くなかったのが意外です。
ラストシーンがどこか悟りを開いたかのような、早乙女にとって最後の信仰の到達点に達したすがすがしさのようなものが漂っているせいでしょうか。
なんとも不思議な読後感の作品でした。
☆4つ。