tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『騙し絵の牙』塩田武士

騙し絵の牙 (角川文庫)

騙し絵の牙 (角川文庫)


出版大手「薫風社」で、カルチャー誌の編集長を務める速水輝也。笑顔とユーモア、ウィットに富んだ会話で周囲を魅了する男だ。ある夜、上司から廃刊の可能性を匂わされたことを機に組織に翻弄されていく。社内抗争、大物作家の大型連載、企業タイアップ…。飄々とした「笑顔」の裏で、次第に「別の顔」が浮かび上がり―。俳優・大泉洋を小説の主人公に「あてがき」し話題沸騰!2018年本屋大賞ランクイン作。

大泉洋さんを主人公にあて書きした作品だけあって、表紙も各章の扉も大泉さんのピンナップ尽くし。
あて書きされたのだから当たり前かもしれませんが主人公の速水にはついつい大泉さんの顔を重ねながら読んでしまいますし、大泉さんのファンの方にはたまらない作品なのではないでしょうか。
私はというと、大泉さんのことは特に好きでも嫌いでもないという中途半端な人間ですが (そもそもテレビドラマや邦画をあまり見ないので、俳優としての大泉さんの出演作品もほとんど知らないのです)、小説としてしっかりした読み応えがあり、もともと興味を持っている業界の話なので、十分楽しめました。


主人公の速水は大手出版社の雑誌「トリニティ」の編集長を務めています。
有名人の物まねが得意で、宴会や接待の席では率先して場を盛り上げる明るい人柄で、周囲からの評判も上々、部下たちからも慕われている。
速水流のユーモアあふれる会話や、大泉洋さんの姿で映像が脳内に再生されてしまう物まねシーンなど、ところどころで笑わされましたが、何しろ出版業界の話なので基本的に不景気な話ばかりで、速水の「陽」のイメージに反して物語全体の雰囲気はどちらかというと「陰」の部分が多いと感じました。
出版不況は今に始まったことではありませんが、業界の構造や仕組み、問題点などが丁寧に描かれていて、全く出版業界に接点がない人でも容易に現状をつかむことができるでしょう。
読めば読むほど打開策などないように思われて、本好きのひとりとしては暗澹たる気持ちにならざるを得ませんが、だからこそ小説への愛を貫き、小説を発表する場としての雑誌の存続に奔走する速水の姿が救いでした。
社内派閥や他業界とのタイアップなどは出版業界に限った話ではないので、私も会社員のひとりとして共感できるところも大いにありました。
大きな組織の中で自分の想いや理想を追求し実現する難しさは理解できますし、困難の中でも自分がやれることを精一杯やろうとあがく速水を、自然に応援したくなります。
こういう人ばかりなら出版業界も大丈夫なんじゃないかと、そんなに甘い話ではないとわかっていながらも、思わず考えてしまいました。


ところが、物語が終焉を迎えたと思った最終章の後、エピローグで大きく物語がひっくり返されたのには驚きました。
エピローグは普通、物語のクライマックスが過ぎて、余韻や後日談を楽しむパート、という認識だったので、まさかここにどんでん返しが仕掛けられているとは夢にも思いませんでした。
自分が見せられていたものは実は騙し絵だった、と気づいたときの衝撃は非常に大きかったです。
けれども不快感などはありませんでした。
読み終わって振り返ってみれば、あれもこれもそれも伏線だったのか、と感心するばかり。
案外こういう「陽」の印象が強い人の方が、二面性があるものかもしれないということには大いに納得できました。
なにより、速水は誰にも見せない側面を持ってはいたものの、行動には一貫性がある。
ゆるぎない信念と、目的に向かって突き進む行動力がある。
だからこそ、意外な結末もすんなりと腑に落ちました。


本作は最初から映像化を念頭に書かれたそうですが、計画通りに大泉さん主演で映画化され、2020年中に公開予定とのことです。
計画されていたからといっても、映画化となると多額のお金が必要になるわけで、そうそう簡単に実現するとも思えません。
それがちゃんと実現したということは、本作が優れた作品であるということの証でしょう。
厳しい業界で長年奮闘してきた人ならではのしたたかさも感じられる速水のキャラクターを大泉さんがどう演じるのか、見てみたいと思いました。
☆4つ。