tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『盤上の向日葵』柚月裕子

盤上の向日葵(上) (中公文庫)

盤上の向日葵(上) (中公文庫)

盤上の向日葵(下) (中公文庫)

盤上の向日葵(下) (中公文庫)


平成六年、夏。埼玉県の山中で白骨死体が発見された。遺留品は、名匠の将棋駒。叩き上げの刑事・石破と、かつてプロ棋士を志した新米刑事の佐野は、駒の足取りを追って日本各地に飛ぶ。折しも将棋界では、実業界から転身した異端の天才棋士・上条桂介が、世紀の一戦に挑もうとしていた――

2018年度の本屋大賞で第2位に輝いた作品です。
柚月裕子さんのお名前は以前から知っていたものの読む機会がなく、本作の文庫化を機に初めて読むことになりました。
硬質ながら冷たすぎない読みやすい文章で、すんなりと物語に入り込むことができました。


駒の動かし方はわかるけれど、戦略についての知識はほぼゼロ、というのが私の将棋レベルです。
子どもの頃にパズル感覚で詰将棋を解いたことはあるけれど、対戦をしたことはほとんどない。
要するにずぶの素人です。
そんな人間が将棋の世界を描いた小説を読んで楽しめるのかという不安はありましたが、結論から言えばほとんど問題はありませんでした。
おそらく将棋をある程度やっている人なら、作中の人物が打つ手を頭の中で盤上に再現してある程度棋譜を描けるのだろうと思いますが、それができないからといって棋士たちの盤上での熱戦ぶりが伝わらないということはありません。
むしろ、命を削るような壮絶な戦いが、自分もその場にいるかのように熱と迫力をもって伝わってきて、圧倒されるほどでした。
もっと将棋についての、特に定跡についての知識があればもっと楽しめただろうなというのは悔しいところではありますが、わからないなりに真剣勝負の面白さと怖さを味わうことができました。
作中で描かれる対戦は、一部を除いてほとんどが「真剣師」と呼ばれる賭け将棋で生計を立てる人による勝負であり、プロとはまた異なる、大金が賭けられていることによるひりつくような緊張感が特に印象的でした。


読み始めた時、舞台が「平成6年」であるのはなぜだろうと少し不思議に思いました。
舞台を現在ではなく、約30年前という微妙な「昔」に設定したのはなぜなのか?と。
もちろん必然性はありました。
読み終えてから調べてみて知ったのですが、小池重明という実在の真剣師が本作の主要登場人物・東明重慶のモデルになっているからなのですね。
本作の舞台は、その小池重明が存命した時代に合わせられているというわけです。
主人公は若き実業家からプロ試験に合格して将棋界に入った異色の棋士・上条桂介ということになるのでしょうが、桂介以上の存在感が東明から感じられ、その壮絶な生きざまは、東明を主人公にしても十分面白かっただろうなと感じるほどでした。
とはいえ、桂介の生い立ちも十分衝撃的で、読み応えがあります。
賭けマージャンと酒におぼれる父親から虐待されて育った桂介が、やがて「恩人」と出会い将棋を学び、東大卒業後は外資系企業に3年勤め、やがて独立して起業家に――という逆転人生ぶりは痛快です。
若くして成功者となった桂介ですが、その一方でどこか不安定な危うさが感じられ、彼がどのような命運をたどるのか、最後まで気になってページを繰る手が止められませんでした。
物語冒頭で発見された白骨死体の身元が判明し、その死体が胸に抱いていた名駒の持ち主がわかってくると、桂介と東明の関係が最終的にどうなったのか、これまた気になって仕方ありません。
盤上の玉を一手一手ゆっくりと着実に追い詰めていくようなストーリー展開にしびれました。


ラストシーンも非常に印象的で、頭の中にその場面がスローモーションで再生されるような感覚を味わいましたが、多少唐突な印象も受けました。
事件の謎が解けてからの展開がちょっと急すぎて、ついていきにくかったところがあります。
ただ、将棋に魅せられた男たちの破滅的な人生に、共感はできませんが圧倒され、強烈な余韻の残る読後感でした。
☆4つ。