tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『魔王城殺人事件』歌野晶午

魔王城殺人事件 (講談社文庫)

魔王城殺人事件 (講談社文庫)


星野台小5年1組の佐藤翔太たちは、探偵クラブ「51分署捜査1課」を結成する。二学期最初の活動は、町はずれに建つ洋館“デオドロス城”のガサ入れ。潜入直後、突然ゾンビ女(?)が現れ、庭の小屋の中で消失する。後日、再潜入した翔太らは、今度は小屋の中で死体を発見する。本格ミステリの楽しさ満載の一冊。

久しぶりに読む歌野晶午さんは、ジュブナイルミステリのレーベル、講談社ミステリーランドの1冊。
まさにジュブナイルミステリのお手本といえるような王道の展開に、童心に帰るようで楽しい気持ちになりました。


小学5年生の「ぼく」こと佐藤翔太は、同じクラスで同じ班の男子である「KAZ」と「おっちゃん」とともに、「51分署捜査1課」として探偵活動を開始します。
近所の洋館に忍び込んだ彼らは、密室からゾンビのような女が消え失せるというミステリーに遭遇し、その謎を解くため、同じ班の「タキゾノキヨミ」と「桂木さん」という2人の女子も加えて再び洋館へ向かいます。
51分署捜査1課の面々が同じ密室の中で見たものは今度はなんと男の死体、しかもその死体はまたもや煙のように消え失せてしまいます。
小学校中学年~高学年くらいの子どもたちが探偵団を結成する、というのはわりとよくある設定ですね。
ミステリだとか推理だとかに興味を持ち、それが探検や冒険に結びつくのがちょうどこれくらいの年齢なのかなと思います。
単なる探偵ごっこ、のはずが本物の事件に遭遇してしまう、というのもこの種のジュブナイルミステリの定番でしょうか。
登場する子どもたちも個性がはっきりしていて役割分担ができているのがいいですね。
帰国子女で何かとリーダーシップをとりたがるKAZ、ちょっと太めで臆病なところのあるおっちゃん、中学受験を目指す学級委員長のタキゾノキヨミ、おとなしく控えめな桂木さん。
そんな4人の個性が、主人公である「ぼく」の視点でしっかり描かれています。
「ぼく」はというと、冷静で頭のいい子だなという印象を受けました。
リーダーの座こそKAZやタキゾノキヨミに譲っているものの、なかなかのしっかり者で、51分署捜査1課の中では一番堅実な役回りをつとめています。
彼の冷静な観察眼のおかげで、謎解きの面白さをしっかり味わえました。


謎解き自体も、密室から死体が消え失せるというわかりやすさがとてもよいと思います。
ミステリに興味を持ち始めた子どもたちにぴったりのわかりやすさですね。
しっかり伏線を張って、ひとつひとつの謎に対して丁寧に説明しながら解き明かしていく過程も好印象。
大きなしかけやどんでん返しがあるわけではありませんが、誰でもなるほどと納得できる謎解きです。
最終的な探偵役が子どもたちではなく (あれこれ推理はしますが)、タキゾノキヨミのいとこであり刑事である「ヒデ兄」であるというところも、私はよかったと思います。
さすがに本物の殺人事件を解決するのが子どもというのは現実離れしていますし、探偵ごっこをするのはいいけれど本物の事件など危険なことに巻き込まれた場合は信頼できる大人に相談するんだよ、という教育的配慮としても、ヒデ兄の登場にはホッとするものがありました。
パンクロッカーのような格好をしているヒデ兄は外見に似合わずまともな大人で (刑事なので当たり前ですが)、子どもたちが勝手に人の家に入り込んだことを諭す場面もとてもよかったです。
全体的に、子ども向けミステリとして非常に丁寧に気を配って書かれた作品だと感じます。
それだけに、細かいところで気になる部分もありました。
たとえば、「ぼく」が「ゲームボーイを持ってくればよかった」と思うシーンがある一方で小学生が携帯電話を持っていたりヒデ兄がタブレットPCを使っていたりするところ (時代設定は一体いつ?) や、タキゾノキヨミが「『小さな』は形容詞ではなく形容動詞だ」と言うところ (正しくは連体詞のはず)。
「ぼく」はお父さんかお母さんのお古のゲーム機で遊んでいるのかも、とか、実はタキゾノキヨミはそれほど成績優秀ではないのかもしれない、などといった解釈をすることは可能ですが、どうも他の部分の丁寧さとの整合性が取れないという印象がぬぐえず、もやもやしてしまいました。


もやもやする部分もあったものの、物語の展開や謎解きにおいて欠点となるようなものではありません。
非常にオーソドックスなミステリで、死体は出てくるものの暴力的な場面はなく、子どもにも安心して薦められる作品です。
教育的配慮もありながら説教臭くもなく、大人も子どもも気持ちよく読める堅実な1冊でした。
作者のあとがきもなかなか面白かったです。
☆4つ。