tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『英雄の書』宮部みゆき

英雄の書(上) (新潮文庫)

英雄の書(上) (新潮文庫)


英雄の書(下) (新潮文庫)

英雄の書(下) (新潮文庫)


森崎友理子は小学五年生。ある日、中学生の兄・大樹が同級生を殺傷し、失踪するという事件が起きた。兄の身を心配する妹は、彼の部屋で不思議な声を聞く。「君のお兄さんは、“英雄”に憑かれてしまった」。大叔父の別荘から兄が持ち出した赤い本が囁いた。『エルムの書』に触れ、最後の器になってしまった、と。友理子は兄を救い出すべく、英雄が封印されていた“無名の地”へと旅立った。

最近はファンタジー作品の執筆にも力を入れている宮部さん。
相変わらず器用な作家さんだなぁと感心しきりです。


小学5年生の森崎友理子の身にある日、大事件が降りかかります。
兄の大樹が同級生2人をナイフで刺し、その後どこかへ姿を消してしまったのでした。
優等生の兄がそんな事件を起こしたことが信じられない友理子。
混乱の中、兄の部屋の本棚に、不思議な本を発見します。
なんとその本は友理子に話しかけてきました。
その本に導かれ、友理子は「ユーリ」となって兄の行方を探るため、「無名の地」と呼ばれる異世界へ旅立ちます。


小学生が異世界へ旅立つという筋書きは、映画化もされた『ブレイブ・ストーリー』に似ていますね。
でも、世界観の重厚さはこちらの方が上だと思います。
友理子が旅立つ異世界とは、人間が紡ぐ物語によって生み出された世界。
そこで出会う人間も、その世界で起こる出来事も、すべては「物語」によって創造されたものなのです。
本好き、物語好きとしては、この設定にはなかなか心をくすぐられました。
本や物語が好きな人なら、一度は「私もこの世界の中に入っていけたらいいのに…」と思ったことがあるのではないでしょうか。
友理子はまさにその体験をしているということなのですね。
ちょっとうらやましいなぁと思ってしまいました。
もちろん自分が望んだ物語の世界へ行くわけではありませんし、物語の世界が楽しいことばかりというわけでもありません。


むしろ、友理子は向かった異世界で、とても厳しい現実に向き合わされることになります。
兄の大樹が起こした事件の真相、そして彼がたどることになった運命…。
その真相には、今ちょうど話題になっている「いじめ」が絡んでいます。
しかもこの作品で描かれるいじめは、教師が大樹を気に入らないがゆえに、他の生徒を扇動して大樹を攻撃させたという、とても胸糞悪い構図でした。
加害者に対して腹が立ち、被害者が受けたのと同じ苦痛を味わわせたいと思うのは、人間として自然な感情だと思います。
それでも、この作品の中で、「報復」や「悪を裁く」という行為は、明確に否定されます。
あくまでも、罪は法によって裁かれるべきものであって、個人が己の独断で復讐したりしてはいけないのだと…。
「朝(あした)に一人の子供が子供を殺す世界は、夕べに万の軍勢が殺戮に奔る世界と等しい。」という言葉が作中に出てきますが、まさに今の日本の状況を言い表しているように感じ、胸が痛くなりました。
学校が戦場と等しい場になるなどあってはならないことですが、実際に苦しんでいる子どもたちがいることを忘れてはならないし、子ども同士が殺し合うような状況を避けるためには、いじめをきちんと法によって裁いていくことが必要だと、強く思いました。


こうした現実社会の問題とのリンクや、「善」と「悪」の概念などは、宮部さんらしい描き方だなと思いました。
「物語」というものの捉え方も、人間が作ってきた歴史や社会や文化に対する新しい見方を与えてくれるようで、とても興味深かったです。
その一方でファンタジー冒険譚としてはちょっと物足りないのが残念。
ちょっと冒険の旅が簡単に進みすぎているような感じがするのです。
もう少し苦難の道のりだったり、強大な敵が出てきてピンチに陥ったりという場面があったらよかったなと思いました。
ですが世界観は魅力的だったので、同じ世界観を用いた新作には期待したいと思います。
☆4つ。