tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『私が語りはじめた彼は』三浦しをん

私が語りはじめた彼は (新潮文庫)

私が語りはじめた彼は (新潮文庫)


私は、彼の何を知っているというのか? 彼は私に何を求めていたのだろう? 大学教授・村川融をめぐる、女、男、妻、息子、娘――それぞれに闇をかかえた「私」は、何かを強く求め続けていた。だが、それは愛というようなものだったのか……。「私」は、彼の中に何を見ていたのか。迷える男女の人恋しい孤独をみつめて、恋愛関係、家族関係の危うさをあぶりだす、著者会心の連作長編。

三浦しをんさんはアンソロジーで短編なら読んだことがありましたが、長編は初めて。
ほぼ初めて読む感覚で、新鮮な気持ちで読めました。
三浦さんの文体ってちょっと湿った感じがするというか、生々しいというか、とにかく五感に訴えかける文章を書く人なんですね。
人間の肌の描写では体温や感触まで伝わってきそうだし、季節の描写では風のにおいや日差しの加減までが感じられるような気がする。
こういう文体で「不倫」なんか書かれると、やたらと艶かしい感じがしてしまいます。
でも、不思議と抵抗なく読めました。


この作品は、大学教授の村川融という、数々の女性たちを渡り歩く男性の周りの女性や教え子や子どもといった関係者の視点で描かれた短編小説が寄り集まってできたような連作長編です。
面白いのは確かにこの作品の中心核をなすのが村川融でありながら、彼自身はほとんど物語中に登場しないということ。
あくまでも村川の周りの人物のみで物語が進んでいきます。
直接的な村川についての描写がないので、一体彼にどんな魅力があるのか(ルックスがいいのか、お金を持っているのか、女性を口説くのがうまいのか)よく分かりませんが、一体何人の女性と関係していたんでしょう。
ついでに子どもは何人いたのでしょう?
読んでいる途中でよく分からなくなってしまいました。
誰か人物相関図を作ってくださいと言いたくなるくらいです。
彼を巡って争う女性たちあり、彼のために壊されてしまう家庭あり、父親としての彼に嫌悪感を抱く子どもたちあり。
どう見ても村川の周りの人物たちは、彼と関わりあうことによって幸せになどなっていません。
人間の醜さや卑小さがむき出しになるばかりです。
そんな人たちと付き合っている村川自身は果たして幸せだったのだろうか…といろいろ考えてしまいました。
個人的な価値観として不倫や浮気を認めたくはないということもありますが、お互いが幸せになれない人間関係は「愛」とは呼べないのではないかと思います。
どちらも幸せになれない関係はもちろん、どちらか片方しか幸せになれない関係というのも、それはあまりよいものではないんじゃないかな。
多くの女性と関係し、多くの家庭を持った村川ですが、それほどたくさんの人たちと深い関係を結びながら、一つとして本当の「愛」と呼べる関係を得られなかったのだとしたら、それはなんて皮肉で寂しいことだろうと思いました。


恋愛小説というよりは人間関係小説と呼びたいような1冊。
ミステリっぽい側面もあって、なかなか面白かったです。
☆4つ。