tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『いまさら翼といわれても』米澤穂信

いまさら翼といわれても (角川文庫)

いまさら翼といわれても (角川文庫)


「ちーちゃんの行きそうなところ、知らない?」夏休み初日、折木奉太郎にかかってきた〈古典部〉部員・伊原摩耶花からの電話。合唱祭の本番を前に、ソロパートを任されている千反田えるが姿を消したと言う。千反田は今、どんな思いでどこにいるのか――会場に駆けつけた奉太郎は推理を開始する。千反田の知られざる苦悩が垣間見える表題作ほか、〈古典部〉メンバーの過去と未来が垣間見える、瑞々しくもビターな全6篇。

古典部」シリーズの6作目です。
刊行ペースがゆっくりで (5作目の『ふたりの距離の概算』を読んだのはもう7年も前!)、続きを待つのがもどかしいですが、それでも待った分だけちゃんと楽しませてくれるクオリティは変わりありません。
シリーズ全体を通しての物語の中に一応時の流れはあるものの、進むのがゆっくりすぎて高校生である登場人物たちとの年齢差が開くばかりなのがちょっぴり悲しいですが、それでもほろ苦い青春小説は何歳になっても面白いです。


今回は折木、千反田、里志、摩耶花の4人それぞれのキャラクターと関係性が掘り下げられているのがいいですね。
現在の話よりも過去を回想するエピソードが多くて、千反田ではないですが「わたし、気になります」と言いたくなるような話ばかりです。
例えば折木が中学時代に起こした「事件」が原因で、里志や摩耶花を除く同じ中学出身の子たちに嫌われているというエピソードが描かれる「鏡には映らない」には、折木ったら一体何をやらかしたの!と心配半分、興味深さ半分。
読み進めてみると、これは確かに折木の評判が地に落ちるのも仕方ないと納得すると同時に、あえて誤解を解こうとせず嫌われたままでいるという選択をしているのはいかにも折木らしいなと感じ入りました。
折木の性格がよくわかって、シリーズのファンにはうれしい1作です。


それから、個人的に好きなのは「わたしたちの伝説の一冊」。
これは摩耶花が漫画研究会で遭遇するごたごたに関する話なのですが、最初のほうに折木が中学時代に書いたという『走れメロス』の読書感想文が登場します。
メロスがセリヌンティウスのもとへと向かう道中で襲ってきた山賊は一体誰が放った刺客なのかを推理するという、感想というよりは論文 (といえるほどのボリュームではないにしても) のような文章がなんとも折木らしくて笑ってしまいました。
しかもその推理がなかなか鋭いところが、これは作者の米澤さんらしさが出ているところではないかと思います。
そしてこの読書感想文は、その後に語られる摩耶花の話における謎解きに絡んできます。
漫画研究会という、言ってしまえば単なる高校生の部活に過ぎない小さな組織の中で、意見の違いによる派閥ができ、対立してしまうというのは、私自身は経験がないものの、結構よくある話なのではないでしょうか。
これも青春のほろ苦い部分のひとつだなと思いつつ、摩耶花が被害者となる事件の謎が解かれた先に開ける新たな道も、青春小説ならではの展開だと思えて甘酸っぱい気分になりました。


純粋に折木の推理の過程を楽しめて、一番ミステリとして楽しいと思えたのは、「連峰は晴れているか」と表題作の「いまさら翼といわれても」でした。
「連峰は晴れているか」は話としてはとても短いのですが、強く印象に残りました。
作中に登場する折木の中学時代の英語の先生の気持ちを、折木が時が過ぎた後で千反田の助けを借りて知ることになるというのが、切なさが感じられてとてもいいなと思いました。
「いまさら翼といわれても」は、市の合唱祭に出場してソロパートを歌うはずだったのに姿を消してしまった千反田を折木たちが探すという話ですが、これもラストが切なく胸に響きます。
ちょっと不思議なタイトルの意味も、最後にわかるようになっています。
そしてその意味こそが、今後のシリーズの展開にも関わってくるのでしょう。
最後にこの先が気になる話で締めるのは「古典部」シリーズの一種のパターンになってきたようにも思いますが、次作への橋渡しをしているのだからあまり待たせずに読ませてほしいと思わされて、すっかり作者の術中にはまった気分です。


ほかにも折木が「やらなくていいことはやらない、やらなければならないことなら手短に」というモットーを掲げるようになったきっかけを描いた話もあって、シリーズを1作目から追い続けてきた読者が楽しめるエピソードが満載の1冊でした。
7作目をいつまででも待つ……と言いたいところですが、いや、やっぱりできるだけ早めにお願いします、米澤さん。
☆4つ。


●関連過去記事●
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『シャルロットの憂鬱』近藤史恵

シャルロットの憂鬱 (光文社文庫)

シャルロットの憂鬱 (光文社文庫)


シャルロットは六歳の雌のジャーマンシェパード。警察犬を早くに引退し、二年前、浩輔・真澄夫婦のところへやってきた。ある日、二人が自宅に帰ってみると、リビングが荒らされており、シャルロットがいない!いったい何が起こったのか。(表題作) いたずら好きでちょっと臆病な元警察犬と新米飼い主の周りで起きる様々な“事件”―。心が温かくなる傑作ミステリー。

作者が犬好きということは知っていたので、犬がひどい目に遭う話は出てこないだろうと、その点は安心して読めました。
さすが近藤さんらしく、犬のかわいらしさは十分に描き出しながら、必要以上に感情移入せず、抑制の効いた筆致で非常にバランスのよい作品に仕上がっています。
ただただひたすら「犬が好き!」という作品も悪くはないですが、それでは読み応えに欠けてしまいます。
軽く読める連作短編集でありながら、作者の主張もしっかり感じられるところがいいなと思いました。


不妊治療中の夫婦のもとにやってきたのは、元警察犬のメスのジャーマンシェパードで、名前はシャルロット。
元警察犬だけあってしっかりしつけられており、人のいうことをよく聞くとても賢い犬ですが、賢いだけにズルをするようなところもあって、そこがなんとも愛らしいです。
シェパードというと、賢いというよいイメージもあるとは思いますが、身体が大きく強そうなだけに、怖いという印象を持っている人も少なくないだろうと思います。
そんな人でも本作を読めば、その怖いというイメージは少し和らぐのではないかなと思いました。
毎日の散歩やドッグランへのお出かけの時の楽しそうな姿も、怒られるようなことをしてしまって「ごめんなさい」と言いたげにしょんぼりしている姿も、なんとも愛らしい様子が、文章の端々から伝わってきます。
飼い主の浩輔と真澄の夫婦が注ぐ愛情をたっぷり受けて、警察犬の頃とはおそらく全く違う「犬らしさ」を発揮するシャルロットに、気づけば心をわしづかみにされていました。
元警察犬とはいっても、ペットになってしまえば愛らしさは他の小型犬などと全く変わらないのだなと微笑ましくなります。
作中でも触れられているとおり、大型犬は気軽に飼えるものではなく、毎日たっぷり散歩して運動させる必要があるなど大変なこともありますが、それでも飼ってみたいなという気にさせられました。
残念ながら大型犬を飼えるような住環境ではないことは百も承知ですが、だからこそ、こうして小説を通して大型犬のかわいらしさに触れ、大型犬とともに暮らす想像を膨らませることができるのは楽しくうれしいことです。


一方で、犬と暮らす喜びばかりを描くのではなく、ネガティブな面にも目を向けているのがとてもよいなと思いました。
たとえば、土佐犬闘犬として強い攻撃性を持つように育てられてきた犬種であるということに触れられています。
娯楽として闘犬を行うのは完全に人間の都合。
そしてそういう人間社会の中で暮らすのに向かない攻撃的な犬種をペットとして飼うのも人間の都合。
さらにいえば、ペットの犬や猫に避妊手術を受けさせることだって人間の都合。
以前、別の小説の中に、チワワは「小さいほうがかわいい」という理由で小型化が進められた結果、通常の分娩ができず出産はすべて帝王切開で行われるという話が出てきてショックを受けたことがあります。
人間の都合で動物を本来の姿からかけ離れたものにしているのではないかという疑問に、胸が痛くなりました。
このような疑問に対して、本作では次のような結論を出しています。


この罪は犬を愛する人たちが少しずつ担っていくしかないのだ。


247ページ 9行目より

罪滅ぼしというわけでもないでしょうが、犬を愛し、犬が人間社会で幸せに生きていけるように、人間が努力する必要がある、ということなのでしょう。
その努力や覚悟ができない人は、犬を飼う資格がないのだと思います。


鋭い視点もありながら、基本的にほのぼのとしたあたたかい話ばかりで、気持ちよく読めました。
一応日常の謎ミステリ仕立ての物語になってはいますが、あまりミステリ色は強くなく、その点は少し物足りなくも感じましたが、総合的にはかわいい犬の話が読めて満足です。
☆4つ。

『少女の時間』樋口有介

少女の時間 (創元推理文庫)

少女の時間 (創元推理文庫)


月刊EYESの小高直海の同級生という女性から、2年前の女子高校生殺害事件の調査を請け負った刑事事件専門のフリーライター・柚木草平。東南アジアからの留学生支援のボランティアをしていた女子高生が殺害され、大森の神社で発見された事件だ。しかし、話を聞き始めた翌日に、関係者の一人が急死する事態となる。事故か殺人か、2年前の事件との関連性を疑う柚木だが……。女子高生殺害事件を追う所轄の女性刑事、資産家の母娘など、調査で出会う女性は美女ばかり、二つの事件に隠された真実に辿り着けるのか──。“永遠の38歳"柚木草平の軽やかな名推理。

元は警視庁の刑事で、現在は刑事事件専門のフリーライターとして糊口をしのぐ、柚木草平を主人公とするシリーズの11作目です。
途中に番外編的な作品も含んでいますが、どの作品でも柚木は変わらず38歳で、妻と娘とは別居中で、警視庁の警部である吉沢冴子と不倫しつつ、ほかにもたくさんの美女たちに振り回されながら殺人事件について調べて記事を書く、という基本的な構成は同じです。
こう書くとワンパターンのようですが、確かにそういう面もあるものの、実は少しずつ変化もあって、本作ではかなり重要な変化が柚木に訪れようとしています。
今までのパターンが崩されかねない大変化ながら、柚木はそれほど感情的になるでもなく淡々としているところが、いかにも柚木らしいなという感じです。
そう、なぜか美女に縁があり、本作でもなじみの編集者から事件関係者まで、やたらと美女 (美少女とオカマを含む) にばかり囲まれる柚木なのですが、デレデレとだらしない感じはなく、どちらかというとハードボイルドを保っています。
本作は女性人気が高いらしいですが (私も女性ですが)、それは柚木がそういう男だからなのでしょう。
女性に不快感を与えないモテ男。
それが柚木なのです。


それにしても柚木が出会う女性たちは、みな美人でありながらなぜこんなに個性的な人ばかりなのでしょう。
今回は東南アジアの留学生たちを支援するNGOが舞台の事件ということもあり、外国に縁がある女性たちが登場しますが、個性的を通り越して変人レベルの人までいます。
なかなか会話が柚木の思い通りには成立しない相手もいて、さすがの柚木も苦戦気味ですが、それでもなんとか事件の調査が進んでいくのは、柚木の豊富な経験と人脈のおかげでしょうか。
新しい登場人物の中では、柚木のもとに持ち込まれた殺人事件の担当捜査官である夕子がいいなあと思いました。
「新しい」といっても、作者の他の作品から出張してきた人物だそうですが、警察が持っている情報をバンバン柚木に渡してしまうという大胆さ (無謀さ?)、事件解決をあきらめない執念と真面目さが、柚木とは好相性のように思えます。
実際、彼女の働きがなければ柚木も真相にはたどり着けなかったでしょう。
このシリーズは推理を楽しむ本格ミステリではなく、あくまでも柚木が事件を調査する過程のストーリーを楽しむタイプの作品なので、事件の真相に特にしかけや驚きがあるわけではないのですが、柚木や柚木の周りの人物たちの会話や行動、思い付きなどが大きくストーリーに影響してきます。
そういう意味で夕子の存在感は、柚木と色恋沙汰になる女性たち以上に大きいものでしたし、柚木の相棒として、シリーズおなじみの雑誌編集者・直海を超える働きぶりでした。
今作のみの登場ではもったいないと思えるほどなので、ぜひ今後もちょくちょく顔を出してくれたらうれしいです。


しかしまあ、柚木も毎回なかなか危ない橋を渡っているのに、大惨事にまでは至っていないのは、運がいいのか何なのか。
今回も最後の場面は絶体絶命というところで終わっていますが、この後どんな修羅場が柚木を待ち受けているのか、一度読んでみたいというか、恐ろしくて読みたくないというか……。
小学6年生の娘の加奈子ちゃんも思春期に突入してますます手ごわくなっていますし、今後のシリーズの展開が楽しみです。
☆4つ。




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