- 作者: 伊坂幸太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/09/12
- メディア: 文庫
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会社員の安藤は弟の潤也と2人で暮らしていた。自分が念じれば、それを相手が必ず口に出すことに偶然気がついた安藤は、その能力を携えて、1人の男に近づいていった。5年後の潤也の姿を描いた「呼吸」とともに綴られる、何気ない日常生活に流されることの危うさ。新たなる小説の可能性を追求した物語。
伊坂幸太郎さんの小説は決して分かりやすい物語ではないのだけれど、毎回何かを深く考えさせられますね。
ボブ・ディランや太宰治、宮沢賢治などの引用が多いのも、いつもの伊坂作品という感じ。
知性にあふれたおしゃれな雰囲気の作品でありながら、現代社会が抱える問題点を捉え、読者に提示する手際は毎度のことながら鮮やかで感心させられます。
『魔王』は、安藤兄弟をそれぞれ主人公にした2つの中編「魔王」と「呼吸」からなる作品です。
「魔王」では他人に自分が念じた言葉と同じ言葉をしゃべらせるという特殊な能力を身につけた兄の話。
そして「呼吸」は、「魔王」から5年後、兄とは異なる特殊な能力が表れはじめた弟の話。
こう書くとSFのようですが、伊坂さんが書きたかったのは単なるSFではありません。
その証拠に、SF的要素である安藤兄弟の特殊な能力については、いくつか謎を残したまま物語が終わっています。
一方で、ファシズム、外交問題、憲法改正、総選挙、国民投票など、まさに今私たちが生きる現実の世界にあふれる政治にまつわる言葉やテーマが全編を通して幅を利かせています。
こうした政治的な問題について考えさせられるのも確かですが、伊坂さんが本当に書きたかったのは政治そのものではないのだろうなとも思いました。
今ちょうど自民党の総裁選が終わり、さて衆議院の解散総選挙はいつかというところですが、いつまで経っても安定することのない政治と、そのような状態から私たちが受ける不安や諦観の中で、私たちは個人の力で社会を変えることができるのかといったところが真のテーマではないかと感じました。
自分で情報を取捨選択し、自分の頭で考え、自分の信念を貫き通すことができるか。
それは難しいことかもしれないけれど、そうするように努力しなければ社会は変わらないのだということを暗にこの作品で示しているのだと思います。
個人的な話になるかもしれませんが、私は以前からネット上でのいわゆる「炎上」や過敏なまでの嫌韓・嫌中(逆に言うと、外国からの反日的な言動もそうですが)の意見を目にするたび、正体のよく分からない恐怖感を感じていました。
単に言葉の鋭さや乱暴さに対する恐怖感などではなく、漠然とした、足元から忍び寄ってくるような恐怖感。
この作品を読んで、その正体がやっと分かった気がしました。
それは、ある一つの意見や思想に多くの人が流されてしまいかねない危うさに対する怖さでした。
ネット上でこうした動きを見ると、この人たちは本当に自分の頭で考えて、自分の意見を元に動いているのだろうかという疑問が沸いてくるのです。
ちゃんと自分の体験を元に、自分の頭で考えているのならいいのです。
でも、もしそうでないのなら…。
「みんながそう言っているから」とか「面白そうだから騒ぎに乗ってみよう」だとか、そういった人も少なくないのではないか。
そして、もしそういう人たちが多いのであれば、それはとても危険なことだと思うのです。
自分で考えずに他の誰かの意見に乗じて騒ぐということは、つまり他人の意見に流されやすいということ。
ひとたびカリスマ性のある、説得力のある人物が現れて、政治でも国際問題でも、何か特定の事柄に対して明確なメッセージを流し始めたりしたら、とても危険ではないでしょうか。
他人の意見に流されやすいということは、言論統制や思想統制を知らず知らずのうちに受け入れてしまう土壌がそこにある、ということなのではないでしょうか。
そして、「魔王」の中で安藤兄は次のようにも指摘しています。
たった一人のアメリカ人とも会話を交わしたことのない若者たちが、「アメリカは」と偉そうに語り、パソコン上でだけ仕入れた情報を元に、「何も分かってねえな」と嘯いているのだろう。
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自分で経験していないことに関して語るとき、私たちはどこかから仕入れてきた情報を元に話をするはずです。
問題はその情報が本当に信頼できるものなのかということ。
ネット上の情報や口コミが真偽の面で信頼性にブレがあり、玉石混交であることは誰もが認めるところでしょうし、政府やマスコミが言っていることであってもどこまで本当か分かりません。
ある特定の人物や団体が、情報操作のため意図的に発信した情報ではないと、どうして言い切れるでしょうか。
情報があふれかえっている現代に生きているからこそ、自分の手と足と目で確かめ、自分で確かめた事実を元に考えることが、何よりも大切なのだと思います。
私自身も新聞やテレビやネットからの情報についつい頼りがちなところがあります。
そこは大いに反省しなければならないと思いました。
いろいろと考えさせられる作品ですが、他の伊坂作品のキャラクターがさりげなくゲスト出演しているところも見逃せない、遊び心もある作品でした。
☆4つ。
♪本日のタイトル:スピッツ「みそか」より