- 作者: 矢作俊彦
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2006/10
- メディア: 文庫
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男は殺人未遂に問われ、中国に密航した。文化大革命、下放をへて帰還した「彼」は30年ぶりの日本に何を見たのか。携帯電話に戸惑い、不思議な女子高生に付きまとわれ、変貌した街並をひたすら彷徨する。1968年の『今』から未来世紀の東京へ―。30年の時を超え50歳の少年は二本の足で飛翔する。覚醒の時が訪れるのを信じて。
学生運動に身を投じた一人の学生が、運動のさなか、警察官に金庫を投げつけ殺人未遂罪に問われたことから中国へ渡る。
中国のとある農村で30年の時を過ごした彼は、鉄腕アトムが生まれた21世紀の日本へと帰る…。
このあらすじに惹かれて、三島由紀夫賞受賞作というのに少々腰が引けつつも(純文学苦手…)、本書を手にとってみました。
私は団塊ジュニアです。
世代的には違うのかもしれないけど、うちの両親は結婚も子どもができたのも当時としては遅めだったので、私は団塊世代の夫婦の子という意味で団塊ジュニアなのです。
が、私には学生運動だの全共闘だのといった当時の学生たちの行動や思想がいまいち理解できません。
家で両親が、職場で上司たちが、「私たちの時代の学生は活気があった。それに比べて今の学生は…」とか「最近の大学には立て看板の一つもなくてあまりにも綺麗すぎる」などと言うのに、いつも若干の反発を覚えています。
それでも学生運動とは一体なんだったのか、理解したいと思いながら当時のことに関する文章を読んでみるのですが、いつも結局理解できないままです。
この作品を読めば今度こそは、と思ったのですが、やはり分からないままでした。
当時はベトナム戦争をきっかけに世界各地で学生たちが団結して反戦運動を行っていたわけですが、「反戦」を訴えた運動が、なぜ最終的に「暴力」へと行き着いてしまったのだろう(私は「聖戦」などというものはありえないと考えます)。
日本では大学の学費値上げが学生運動に火をつけましたが、学費値上げに反対するのになぜ大学を占拠し、授業ができない状況にして、「学ぶ権利」を自ら放棄してしまったのだろう(授業料を払っているのに授業が行われないのでは、本当に授業料の無駄ですよね)。
"Don't trust anyone over thirty!"というのが世界の学生たちの合言葉だったといいますが、それはいつの時代の若者も胸に抱くであろうただの「大人社会への反発」と、どう違ったのだろう(時代によって「大人社会への反発」を表現する方法が異なるだけで、若者が胸のうちに抱えているものはいつの時代も本質的には変わらないのでは?)。
疑問は今も私の胸の中を渦巻いています。
そんなあの時代の「分からなさ」(私にとっては)を象徴するかのように、この小説の物語自体も、いくつかの謎がはっきりとは解かれないまま終わってしまいました。
正直に言って、なんだかちょっと、消化不良な感じでした。
ですが、主人公と同じ団塊の世代の人ならば、私には理解できないものを理解している分、この作品も理解できるのかもしれません。
私はあまりにものを知らなさすぎるのかもしれないなと思いました。
学生運動が起こった背景にあったものも、団塊の世代の当時の心理や思想もよく分かりませんが、この30年間の中国の歴史や世相のことについても全然知らないし、分かっていないということを思い知らされました。
団塊の世代が見てきた30年と、団塊ジュニアの世代が見ることになる30年は、どこが同じで、どこが違うのでしょうか。
本書の中では、1989年という年が一つの大きな節目のように書かれています。
この年、昭和天皇が亡くなり、手塚治虫さんが亡くなり、ベルリンの壁が崩壊し、天安門事件が起こりました。
当時私はまだまだ子どもでしたから、この年の重要性が理解できていませんでしたが、こうして出来事を並べてみると、確かに激動の1年だったのだなと感じます。
今のところ私にとって一番印象に残っている年を挙げるならば、1995年でしょうか。
戦後50年であり、阪神大震災と地下鉄サリン事件が起こった年です。
でもこれからの30年の中に、1995年を越える印象深い1年があるのかもしれない。
そのとき自分は、世界はどう変わり、何を得て何を失っているのだろう…。
本書の主人公の名前は最後の最後まで一度も出てきません。
このことが、集団の中に埋もれる名も無き個人を、そしてそれが30年前も今も変わっていないことを象徴しているように思えて、強く印象に残りました。
分かったような分からないような、不思議な読後感で☆4つ。