tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『傑作はまだ』瀬尾まいこ


「実の父親に言うのはおかしいけど、やっぱりはじめましてで、いいんだよね?」
そこそこ売れている引きこもりの作家・加賀野の元へ、生まれてから一度も会ったことのない25歳の息子・智が突然訪ねてきた。月十万円の養育費を振込むと、息子の写真が一枚届く。それが唯一の関わりだった二人。真意を測りかね戸惑う加賀野だが、「しばらく住ませて」と言う智に押し切られ、初対面の息子と同居生活を送ることに―。孤独に慣れ切った世間知らずな父と、近所付き合いも完璧にこなす健やかすぎる息子、血のつながりしかない二人は家族になれるのか?その「答え」を知るとき、温かく優しい涙が溢れ出す。笑って泣ける父と子の再生の物語。

いやあ、瀬尾まいこさんが書く物語はやっぱりいいですね。
基本「いい話」で感動ものなのだけれど、押しつけがましさがないというか、いかにもな「お涙頂戴」ではなく、それでもちゃんとじんわり心を温めてくれる。
例えて言うなら、丁寧にダシをとって作ったお味噌汁のような、あっさりとしたのど越しのよさがあって、華やかなメインディッシュではなくともしみじみおいしい一杯、いや一冊。
私にとって瀬尾さんの作品はそんな存在です。


作家の加賀野は一軒家にひとり暮らしでろくに外出もせず小説を書き続ける孤独な引きこもりです。
そんな彼の家に、25歳の息子・智 (とも) が突然転がり込んできます。
美月という女性との一夜限りの関係でできた子である智と加賀野は親子でありながら完全な初対面。
これまでほとんど交流のなかった父子の、ちょっと不思議な共同生活が始まります。
この作家のお父さんが、とにかくダメ親父すぎるのが印象的です。
いい歳のおっさんであるにもかかわらず、大学卒業後ずっと家に引きこもってひとりで小説を書いているため、世間知らずで他人とのコミュニケーションの取り方もまったくわかっていない。
食べるものにも頓着せず、近所付き合いの仕方もわからず、気配りもまったくできないという体たらくで、今はよくてもこの先老いて他者からの支援が必要になった時に大丈夫なのか?と不安な気持ちにさせる人物です。
一夜の関係で妊娠した美月に対しては、いくら彼女自身が望んだこととはいえ結婚もせず、ただ智への養育費を毎月送るだけでそれ以上の配慮は特になく、養育費を払っているだけマシだけれどなんてひどい男なんだ!と女性としては憤慨せざるを得ません。
ただ、男としても父親としても、さらには社会人としても、ダメダメすぎてもはや滑稽なほどで、読み進めるうちに腹が立つというよりはなんだか笑えてきてしまいました。
ダメ人間ですが悪人ではなく、単に小説以外のあらゆることに無関心なだけで、どこか憎めないところのあるお父さんなのです。


そんなダメ親父の加賀野が、突然現れた息子の智との共同生活を通して世の中のおいしい食べ物を知り、町内会に加入して近所の人たちとのお付き合いが始まり、ずっとほぼ他人だった智と美月に対する関心を持つようになる。
いやはや、父子の関係を描いた小説で、その親子関係によって成長するのが息子ではなく父親の方、というのがなんとも面白いです。
息子の智がまたとてもいい子なんですよね。
「いい子」といっても25歳なので立派な大人なのですが。
父親のいない家庭で育って、それなりに苦労もあっただろうに、それをまったくおくびにも出さず素直で明るく社交的な青年です。
父親のダメっぷりとは対照的すぎて、どうしてこのお父さんからこんな素晴らしい息子ができるのだろう?などと思ってしまいますが、その理由は終盤に明かされます。
智の母親である美月が終盤になってようやく登場するのですが、加賀野の語りからの印象とはかけ離れていて、いいお母さんで、いい女性なのです。
智の名前の由来にも、美月の愛情が感じられて泣かされました。
自宅に引きこもってひとりで暮らしていた加賀野は、実はひとりではなかった。
月に一度の養育費の振り込みと智の写真の送付というやり取りだけでも、実はちゃんと親子関係が成立し機能していた。
「絆」というありふれた言葉を当てはめるのがためらわれるような、もっと確かなものがそこにはありました。


人間関係を取り戻すのも、社会人として必要な常識やスキルを身につけるのも、全部遅すぎるということはないのですね。
遅れはきっといくつになってからでも努力次第で取り戻せる。
そして、人の優しさ、あたたかさ。
会わなくても自分のことを忘れないでいてくれる人のいるありがたさ。
そんなたくさんの希望が詰まった物語に、心癒されました。
☆4つ。