tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『熱帯』森見登美彦


どうしても「読み終えられない本」がある――。その名も『熱帯』。
この本を探し求める作家の森見登美彦はある日、〈沈黙読書会〉なる催しでふしぎな女性に出会う。彼女は言った「あなたは、何もご存じない」と。
『熱帯』の秘密を解き明かすべく組織された〈学団〉と、彼らがたどり着いた〈暴夜書房〉。
東京・有楽町からはじまった物語は、いつしか京都、さらには予想もしなかった地平へと突き進む。

いやあ、これはなんとも不思議な小説です。
冒頭に登場するのが明らかに作者本人、つまり森見登美彦さんご自身としか思えず、おや、私小説風?と思いながら読み進めていくと、思いもかけない壮大な冒険の世界へ誘われ、さらには現実の世界と物語の中のファンタジー世界とが混じり合っていき、いったい私はどこへ連れていかれるのだろうという楽しくもちょっと不気味な感覚を味わいました。


物語前半で語られるのは、佐山尚一という人物が書いた「熱帯」というタイトルの小説を追い求める人々の話です。
「熱帯」は、誰も最後まで読み終えたことがなく結末が謎であり、国会図書館古書店などどこをあたっても見つからない幻の本。
その謎の本をめぐる物語、という本好き・物語好きにとってはたまらない設定になっています。
東京のとある喫茶店で開かれる不思議な読書会、そこで出会った「熱帯」を追い求める人々、彼らの会合から始まる京都への旅――と、最初は1冊の本をめぐる謎解きミステリ風に始まり、ミステリ好きとしてもとても胸が躍りました。
けれども本作はミステリではありません。
中盤からは、ある人物が熱帯の海に囲まれた島を舞台に冒険を繰り広げる物語を語り始め、そこからは物語が物語を呼ぶ構成へと徐々に姿を変えていきます。
自分がこれまでに読んできたあらゆる物語の要素を全部含んでいるような気もするし、どの物語とも全く似ていないような気もする。
そんな不可思議な物語は、一体どんな展開になっていくのか、どんな結末を迎えるのか、終着点はどこなのか、なかなか想像がつきません。
ただひたすら文字を追い、愉快な気分になったり恐ろしく感じたりドキドキワクワクしたりと、感情が揺さぶられます。
森見さんの作品はいつもそうですが、その独特の世界観がとても魅力的です。


世界観は独特ですが、本作にはモチーフとなった実在の物語があります。
作中でも繰り返し登場し語られる、かの有名な「千一夜物語」です。
日本では「アラビアンナイト」としても知られます。
千一夜物語」を全部読破したという人は少ないかもしれませんが、「アラジンと魔法のランプ」「シンドバッドの冒険」「アリババと40人の盗賊」といった有名な物語は、誰でもパッと思い浮かぶのではないでしょうか。
そういう意味では「千一夜物語」は万人になじみ深い物語だといえます。
また、「千一夜物語」は入れ子構造を持つ物語で、ある人物が語る物語の中の登場人物がまた別の物語を語り始め、さらにその物語の中の人物がさらなる他の物語を語る、といった構成になっているのだそうです。
その説明を本作の中で読み、へえ、「千一夜物語」ってそんな話だったのか、面白そうだなと思っていると、本作自体が徐々に「千一夜物語」と同じく、次々に語り手が変わっていくつもの物語が語られていくというものに変わっていきます。
まるでマトリョーシカのように物語の中の物語、さらにその中の物語――と読み進めていくうちに、頭の中はどんどんこんがらがっていきました。
いったい私は今誰の、どの物語を読んでいるのか?
物語に置いて行かれないように、必死にしがみついていかなければならない。
そんな読書体験は初めてで、自分の想像力を最大限に試されているような感じがしました。


なんとなくきれいな結末を迎える物語ではないだろうなという気がしていましたがそれは予想通りで、謎のままほったらかしにされてしまった部分もありますが、物語は閉じることのない円環となってずっと続いていき、その中に自分自身も取り込まれていくような感覚は、非常に新鮮で面白いものでした。
想像の翼を自由に広げ、どこまでも新しい世界を創造していくという、物語の持つ魅力を存分に表現した作品です。
これまでに読んだ森見作品のモチーフがところどころに登場するのも、いちファンとしてとても楽しくうれしいものでした。
千一夜物語」も読んでみたくなりましたが、読むのはなかなか大変だろうなあ……。
☆4つ。