tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『店長がバカすぎて』早見和真


谷原京子、二十八歳。吉祥寺の書店の契約社員。超多忙なのに薄給。お客様からのクレームは日常茶飯事。
店長は山本猛という名前ばかり勇ましい「非」敏腕。人を苛立たせる天才だ。ああ、店長がバカすぎる!
毎日「マジで辞めてやる!」と思いながら、しかし仕事を、本を、小説を愛する京子は──。
全国の読者、書店員から、感動、共感、応援を沢山いただいた、二〇二〇年本屋大賞ノミネート作にして大ヒット作。
巻末にボーナストラック&早見和真×角川春樹のオリジナル対談を収録!

2020年度の本屋大賞ノミネート作がもう文庫化。
早見和真さんの作品を読んだのは初めてでしたが、いやあ面白かった!という感想が素直に出てくる快作でした。
さすが本屋大賞ノミネート作はハズレが少ないですね。


本作は大手ではないけれどチェーンの書店の本店で契約社員として働く女性・谷原京子の仕事ぶりを描いた連作短編集です。
お仕事小説は自分の知らない職業の実態が垣間見れるのが楽しくて好きなのですが、書店員は本好きの私にとっては比較的身近なお仕事。
仕事内容はわかっているし、今の書店・出版業界が抱える問題なんかも、大体把握しています。
つまり新鮮さは少ないということなのですが、それでも本作を面白く読めたのは、書店員の仕事を描いた小説でありながら、働く人全般に普遍的な悩みや苦しみや喜びを描いていて、共感できるところが大いにあったからです。
店長 (上司) がへっぽこで、わけのわからないことを言われて「グルルッ」とのどを鳴らしてしまうのも、「もうこんな店 (会社) 辞めてやる!」と何度も思いながら結局退職には踏み切れないのも、社会人ならその気持ちは理解できるでしょう。
主人公の書店員・京子が契約社員であるというのもポイントで、正社員じゃないのに「この店はあなたあってこそ」と言われたり、なのにものすごい薄給でやりがい搾取の典型だったり、さらには学生バイトが出版社に就職して高給取りの正社員になって会いに来たことに強烈なコンプレックスを抱いたり、というのがいちいちリアルで生々しくて、同じ非正規労働者としては「わかるわかる」とブンブン頭を縦に振りたくなってしまうことしきりでした。
店長にも待遇にも不満だらけで、でもそれでも京子が退職せずに働き続けているのは、やはり何より本が好きということと、出会う人が悪い人ばかりではなく、尊敬できる先輩や自分を慕ってくれる後輩がいて、自分と同じように本を愛する同僚とお客さんがいるという、働く喜びにつながる要素が確かにあるからに他なりません。
たいていの働く人は、そういう喜びを糧にして、仕事のつらい部分、苦しい部分に折り合いをつけながらなんとかやっていけているのだと思います。


それでも、共感性の高いお仕事小説だというだけなら他にも面白い作品はたくさんあるのですが、本作にはもうひとつ読みどころがあります。
それは、ちょっとした仕掛けがあるというところ。
巻末の作者と角川春樹さんの対談によると、編集者としての角川さんは作者にミステリ作品を要望したとのこと。
そんなわけで、作中に登場する人気作家が自らについての情報を明かしていない覆面作家という設定になっており、その正体をめぐる謎が最終話につながる伏線になっています。
とはいえ、その覆面作家の正体についてはヒントがあからさまに提示されており、私は早々に正体の見当がついてしまいました。
それなのに正体の謎を延々引っ張るのでちょっとしらけムードになっていたのですが、終盤にもうひとつのある事実が明かされた時には驚きました。
実は覆面作家の正体の謎は目くらましで、もうひとつ謎が仕掛けられていたのですね。
そもそもミステリだと思って読んでいなかったから、というのもあるのですが、謎の存在にすら気づかなかったので、やられたという気持ちになりました。
そして同時に、その謎が明かされた時の京子と、全く同じ思いを抱いたのです。
ちょっと、どういうこと!?と。
いやはや、最後まで主人公に対する共感度が高い作品でした。


書店業界や出版業界の変な慣習やさまざまな問題点が赤裸々に描かれていて、本好きとしては業界の未来を憂えずにはいられませんが、基本的にはユーモアたっぷりで、笑える部分もたくさんある楽しいお仕事小説です。
ひとつ気になるのは、京子が28歳にしては芸能ネタが古くないか?という点ですが、そんなところも含めて面白かったです。
続編も現在連載中とのことで、また京子や店長と会えるのが楽しみになりました。
☆4つ。