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『さざなみのよる』木皿泉

さざなみのよる (河出文庫)

さざなみのよる (河出文庫)

  • 作者:木皿泉
  • 発売日: 2020/11/05
  • メディア: 文庫


富士山の間近でマーケットストア「富士ファミリー」を営む、小国家三姉妹の次女・ナスミ。一度は家出をし東京へ、のちに結婚し帰ってきた彼女は、病気のため43歳で息をひきとるが、その言葉と存在は、家族や友人、そして彼女を知らない次世代の子どもたちにまで広がっていく。宿り、去って、やがてまたやって来る、命のまばゆいきらめきを描いた感動と祝福の物語。

夫婦による脚本家ユニットである木皿泉さんの作品は、じんわりと胸に沁みますね。
生きること、死ぬこと、そしてそこにかかわってくる人々とのつながりを描いた『昨夜のカレー、明日のパン』が大好きですが、本作も同じような読み心地の物語です。
ドラマなど映像作品の脚本を書かれているだけあって、読みながら頭の中に映像が浮かぶような鮮明な文章がとても読みやすく、登場人物が比較的多い作品ながらすんなりと各人物像と関係性がイメージできます。


本作は、43歳という若さでがんになり他界したナスミという女性を、ナスミに関わる様々な人々の視点から描いた連作短編集です。
ナスミ本人から始まって、家族のような身近な人、過去に同じ職場で働いていた同僚、果ては一度もナスミに直接会ったことがない人まで、立場もナスミとの距離感も本当にバラバラで、そのバラバラな視点から描かれることでナスミという女性の人物像が多角的かつ立体的に浮かび上がってきます。
ナスミはなんともパワフルで、明るく元気な人だなという印象を抱きました。
だからこそ、どうしてこんなに若くして死ななければならなかったのか……と運命の残酷さを呪いたい気持ちになります。
ただ、本作は決してナスミの死を悲劇的なものとして描いてはいません。
もちろん人の死は悲しいことで、ナスミの死を悲しむ人たちがたくさんいます。
けれども、悲しみながらも、彼らはみなしっかり前を向いている。
特に、ナスミの夫である日出男の思いに共感しました。

退院してゆく人の晴々とした顔を見ていると、ナスミの痛みや苦しみ孤独や不安はもう終わってしまったんだと思えて、日出男は長いマンガの最終回のページを読んでしまったような気持ちになる。


49ページ 8~10行目より

「長いマンガの最終回のページを読んでしまったような気持ち」というのが言い得て妙だなと感じ入りました。
ずっと長く付き合ってきたものとの別れを惜しみ、悲しむ気持ちと、最後まで見届けられてよかったという安堵の気持ちと。
配偶者という立場で人の死に立ち会った人だからこその、率直な思いがまっすぐに伝わってきました。


登場人物たちがみな、ナスミの死を悲しんではいるけれども悲しみすぎてはいない、という絶妙なバランスは、重くなりがちなテーマを明るく軽やかな物語にしてくれています。
そして、もうひとつ私がいいなと思ったのは、ナスミが死後も人々の記憶に残り続けていることでした。
ナスミは子どもを産むことなく生涯を終えました。
亡くなった人の子どもや孫が想いや遺志を引き継いでーーというのは人の死を描く物語においてよくある筋書きですが、ナスミの場合は子どもも孫もいません。
それでもナスミは次世代にまでその存在を記憶され続けるのです。
血のつながりなどなくても、次世代に死後も記憶されることは可能だ、というのは、私もそうですが、多くの子どものいない人にとって、希望なのではないでしょうか。
大切なのは、どのように生きて、どんな人とどんなふうに関わり、どのような言葉や行動を残すか。
あまり「自分が生きた証を残したい」という気持ちは強くない私ですが、それでも「以前、こんな人がいてね」と自分の死後も自分のことが話題に上るのはきっとうれしくありがたいことでしょう。
そんなふうになったらいいなと思いますし、そのためには、今、そしてこれから、自分がどのように生きるかが大切なのだと、ナスミに教わったような気がしました。


ある人の死を描くということは、その人の生を描くということなのだということがよくわかります。
ユーモアさえ感じられる明るい空気の中に、押しつけがましくないさわやかな感動が感じられる、あたたかい物語でした。
あとがきに書かれているように、コロナ禍の今だからこそ文庫化を、という編集者さんの思いも納得です。
☆4つ。




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