tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『銀河鉄道の父』門井慶喜

銀河鉄道の父 (講談社文庫)

銀河鉄道の父 (講談社文庫)


第158回直木賞受賞作、待望の文庫化!
政次郎の長男・賢治は、適当な理由をつけては金の無心をするような困った息子。
政次郎は厳格な父親であろうと努めるも、賢治のためなら、とつい甘やかしてしまう。
やがて妹の病気を機に、賢治は筆を執るも――。
天才・宮沢賢治の生涯を父の視線を通して活写する、究極の親子愛を描いた傑作。

タイトルから想像できるとおり、宮沢賢治の生涯を描いた作品です。
本作の面白いところは、賢治の父・政次郎の視点で描いたところでしょう。
政次郎に関してはあまり文献が残っていないのだそうで、作者の門井さんの創作部分が多いのだと思われますが、それでもこの父にしてこの子あり、という説得力のあるエピソードの連続で、宮沢賢治という人物がよりリアルに浮かび上がってくるように感じました。


花巻の地で父から継いだ質屋を営む宮沢政次郎は、商売人として厳しいところがありながらも、長男の賢治に対してはめっぽう甘い親バカです。
まだ幼い賢治が病気になり入院した時には、普通は母親がするべき泊まり込みでの看病を自ら買って出て献身的に世話をし、その結果自分も病を得て生涯にわたって腸が弱くなってしまったという話は、その愛情深さが泣かせるものの、どこか滑稽で笑える部分もありました。
成績優秀な賢治は中学進学を機に家を出ますが、その金銭感覚は完全に「金持ちの家のバカ息子」のそれで、気軽に政次郎に金の無心をしてきます。
また政次郎は政次郎で、息子の要求通りにお金を出してしまうのです。
さらに学校を卒業後は製飴工場を経営したいなどと荒唐無稽なことを言い出すなど、父が資金を出してくれると信じて疑わない賢治の態度にはあきれてしまいます。
政次郎もいくら息子がかわいくても甘やかしすぎだろうと思うのですが、その親バカぶりは、賢治の優秀さを誰よりも正確に見抜いていて、そこからくる期待ゆえだったのでしょう。
政次郎自身、学校の成績は首席だったものの、質屋をやるのに学問は必要ないという父親の一言で進学をあきらめています。
だからこそ自分の息子の賢治には高等教育を受けさせたい、好きなことを学ばせてやりたいという気持ちが強かったのでしょうし、客商売にどうしても向かない賢治が学校卒業後に家業から逃げてまともに就職もせずにふらふらしていてもあまりうるさいことを言わず、妹のトシの病気をきっかけに本格的に童話や詩を書き始めた賢治の一番の読者にもなったのです。
明治・大正時代の話ですから家父長制に縛られ「父としてこうあるべき」という意識が強い政次郎ですが、それでもこの時代の人にしては息子に対して理解ある、現代の優しいお父さんにも通じるところのあるいい父親だったんだろうなと思いました。


自他ともに認める親バカの政次郎と、どうしようもないダメ息子の賢治という父子の関係がユーモアたっぷりに描かれていて面白かったのですが、実のところとても切ない話でもあります。
考えてみれば、政次郎は長男の賢治と長女のトシ、ふたりの子どもに先立たれているのです。
医療が今ほど発展していない時代のことで逆縁も珍しくはなかったのかもしれませんが、親バカな父親だった政次郎には堪えたのではないかと思うと心が痛みます。
賢治も学業優秀な子どもでしたが、トシの方も非常に優秀で、なんと女子大学校を卒業して教師になっています。
男子でも進学が難しく一般的ではなかった時代に、女性でそのような高学歴ときちんとした職業を持っているというのはすごいことだと驚きましたが、手紙のような散文に関しては賢治よりも文才があったということにはさらに驚きました。
作中にもその手紙が引用されているのですが、確かにとても読ませる文章です。
もしもトシが若くして亡くならなければ、文筆家として世に出ていたのは賢治ではなくトシの方だったかもしれない、と想像すると痛快な気持ちになりました。
そのトシの死の床を描いた作品が『春と修羅』に収録されている『永訣の朝』で、これは私も大好きな作品なのですが、この作品が書かれた時の賢治のエピソードにはちょっと呆れるというか、賢治らしいエピソードとは言えるのですが少しがっかりしてしまいました。
政次郎も『永訣の朝』を読んだときには賢治に対し憤慨していますが、それでも賢治のいくつもの作品を何度も何度も熱心に読んだところはやはり父親だからこそ、でしょうか。
やがて病に倒れた賢治を看取った政次郎による、『雨ニモマケズ』の解釈がとてもいいな、と思うと同時に、鼻の奥がツンとしました。
賢治の創作人生はトシが発病してから本格的に始まり、自らが亡くなるまでのごくわずかな期間にすぎません。
その彗星のような創作人生を誰よりも近くで、誰よりも熱心に見届けたのが政次郎なのです。


愚かで滑稽なところもありながら、強い絆で結ばれた父子の関係に、笑ったり泣いたりと感情を揺さぶられました。
宮沢賢治に対する印象も、これまでとは少し違うものになった気がします。
彼が愛した岩手県花巻市はこれまでも一度行ってみたい場所のひとつでしたが、読後その思いが一層強くなりました。
☆5つ。