tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『バベル九朔』万城目学

バベル九朔 (角川文庫)

バベル九朔 (角川文庫)


俺は5階建ての雑居ビル「バベル九朔」の管理人をしながら作家を目指している。巨大ネズミ出没、空き巣事件発生と騒がしい毎日のなか、ついに自信作の大長編を書き上げた。だが、タイトル決めで悩む俺を、謎の“カラス女”が付け回す。ビル内のテナントに逃げこんだ俺は、ある絵に触れた途端、見慣れた自分の部屋で目覚める―外には何故か遙か上へと続く階段と見知らぬテナント達が。「バベル九朔」に隠された壮大な秘密とは?

万城目さんらしい、なんとも不思議な、独特の世界観を持った作品です。
ちょっとその世界観がつかみづらい印象もありましたが、一体どういう方向へ物語が進むのかあまり予想がつかず、最後までドキドキさせてくれました。


「バベル九朔」というのは、作家を目指して小説を書き続けている主人公が管理人を務める雑居ビルの名前です。
「九朔」というのは主人公の名字で、ビルはもともとは主人公のおじいさんが経営していたもの。
どこにでもありそうな駅近くの雑居ビルで、テナントは飲食店からギャラリー、探偵事務所まで、怪しさはなくともそれぞれ個性ははっきりしています。
ところがこの雑居ビル、実は異世界とつながっていて――。


というのがあらすじになるのですが、「異世界」という表現で正しいのかはなはだ自信がありません。
万城目さんの作品の特徴として、現実とファンタジー要素との間にあまり境目がなく、完全に同じ世界での出来事として描かれているというのがあると思うのですが、この作品も例外ではないからです。
ただ、今回は一応「絵に触れる」という行為を通してもうひとつの「バベル」に行くということになっているから、「異世界」といっても間違いではないかなぁ……。
そこへ行った主人公も、元の世界へ「戻ってくる」わけですし。
とはいってもやはり「異世界ファンタジー」としては異例の作品といえるのではないかと思います。
本作は冒険譚ではないし、「異世界」へ行った主人公がやっていることといったら、ビルの中をひたすらさまよっているだけ。
特に強力な敵が出てくるわけでもない、というより敵が誰なのかも、途中まではよくわかりません。
「バベル」って一体何なんだ、現実世界のビル「バベル九朔」との関係は?というあたりの謎が解けてくるのはかなり終盤になってからなので、長い間状況のよくわからない不安感を抱きながら読むことになりました。


「バベル」というと聖書に登場するバベルの塔を思い浮かべる人も多いでしょう。
実際そこから着想されているようで、作中でも聖書のバベルの塔について言及されています。
本来は5階建てのビルである「バベル九朔」が、異世界のバベルは延々と上へ上へ伸びる長い階段を持つ構造になっているのも、まさに「塔」を思わせます。
そしてそのバベルの中では、人の望みが叶う。
作家志望の主人公は、もちろん自分が華々しく文壇デビューを果たすという望みが具現化されるのをバベルの中で体験します。
その夢のような世界から、厳しい現実に戻る決断をするのはなかなかつらいことでしょう。
それでも主人公は現実の方を選びます。
それは、ある人を救うため。
正直なところ、主人公に共感しづらく、あまり感情移入できないと感じていたのですが、自分の望み通りの心地よい世界よりも、他者を救う道を選ぶところは胸に響くものがありました。
なんだ、けっこういい奴じゃない、と。
最後の最後で主人公を好きになれてよかったです。


不思議で奇妙な世界にどっぷり浸れますが、だからこそ、その世界観が合うか合わないかで好みが分かれそうな作品だなとも思いました。
異世界の方のバベルに登場する数々のテナントの名前が、ネタたっぷりでなかなか楽しかったです。
カラスやネズミの描写が気持ち悪いのはちょっと嫌でしたが……。
☆4つ。