tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『朝が来る』辻村深月

朝が来る (文春文庫)

朝が来る (文春文庫)


長く辛い不妊治療の末、特別養子縁組という手段を選んだ栗原清和・佐都子夫婦は民間団体の仲介で男子を授かる。朝斗と名づけた我が子はやがて幼稚園に通うまでに成長し、家族は平穏な日々を過ごしていた。そんなある日、夫妻のもとに電話が。それは、息子となった朝斗を「返してほしい」というものだった―。

これまで読んできた辻村さんの作品の中では一番の社会派の物語でした。
不妊治療のこと、特別養子縁組のこと、望まぬ妊娠をした女性たちのこと……すべて、私自身は経験のないことですが、決して他人事とは思えないリアリティがあふれていて、強く心に響きました。


本作は4章構成で、それぞれの章で視点となる人物が移り変わっていきます。
まず1章は栗原佐都子という母親の視点から、さまざまな苦労もありつつ幸せな、息子の朝斗と過ごす日々が描かれます。
タワーマンションの高層階に住んでおり、満ち足りた幸福な生活を送っているように見える佐都子たち親子ですが、実は朝斗は特別養子縁組でやってきた子どもで佐都子と夫の清和の間に生まれた子ではないことが明かされ、ある日若い女性が「朝斗を返してほしい、返さないなら養子であるという秘密を暴露する、それが嫌なら金を出せ」と脅迫してくるという不穏な展開になっていきます。


そこまでで1章は終わり、栗原夫妻が朝斗を養子に迎えるまでを描く2章が始まりますが、この2章はつらい場面が多くて、涙なしには読めませんでした。
結婚後、何年経っても子どもができる気配がないことを心配した親たちから言われて不妊治療を開始する佐都子。
ですがタイミング法では授かる気配がなく、次のステップに進んだ栗原夫妻に突き付けられたのは、清和が無精子症であるという診断でした。
そこからは本当につらい場面の連続で、栗原夫妻が衝撃を受け夫婦関係も少し悪化するのもつらいし、清和の母親がやってきて息子の不妊のことを佐都子に土下座して謝罪するのも、もうあまりにもつらくてつらくて涙が止まらず、読み進めるのを苦痛に感じたくらいでした。
もともと清和も佐都子も、子作りは自然に任せて、できなければそれでもかまわないというくらいの気持ちでいたのですが、不妊であるという事実を突き付けられるのはそれとは別問題です。
そもそもあなたには子どもを作る能力がありませんよと宣告されるというのは、なんと残酷なことかと胸が締めつけられるような気持ちがしました。
けれども栗原夫妻はそんな残酷な事実とも向き合って、不妊治療のステップをさらに進め、体外受精に挑戦します。
その強さは素直にすごいと思いましたが、報われるかどうかわからない、いつまで続くのかもわからない、精神的にも肉体的にも負担の大きい不妊治療の困難さに、気が遠くなりそうでした。
そんな治療をやめて、養子を迎えることを決断し、ついに佐都子が朝斗を胸に抱く場面では、今度はつらさではなく安堵の涙が流れました。


そして3章は、朝斗の産みの母・ひかりの物語に移ります。
教員である両親と、私立の女子校に通う姉の、生真面目さや清潔さに反発を覚える中学2年生のひかりは、同じ学年の人気の男子・巧から告白されて付き合い始めます。
そのうちに、体調が悪いと気づき病院で妊娠していると診断された時にはすでに、人工妊娠中絶が可能な時期を過ぎてしまっていました。
産むしかなくなったひかりの子どもは、特別養子縁組をあっせんする団体を介して栗原夫妻のもとへ。
その後、ひかりは学校にも家庭にも居場所を失い、家出をしてひとりで生きていこうとしますが、当然のことながら未成年で学歴もない彼女が生きていくのにはとてつもない困難が伴います。
ひかりの周りの大人たちが、両親を含め誰一人としてひかりを守ろうとしていないのが、読んでいてとてもつらく感じました。
14歳の、しかも初潮もまだ来ていなかった少女に、妊娠の責任をひとりで負わせるのは無理があります。
必要な知識をひかりに与えていなかった両親も、学校の先生も、責任は重いのではないかと思うのに、その責任が問われることはありません。
それどころか、ひかりに対する精神的なケアやサポートすら、十分に与えることをしないのです。
もちろん、大人たちだけではなく、ひかりの子どもの父親である巧も。
母親としての自覚が芽生え始めたところで赤ちゃんを手放し、その後急な下り坂を転がり落ちるように人生が狂っていき、心を荒ませていくひかりが、かわいそうでなりませんでした。


最終章で、朝斗を挟んで佐都子とひかりが向き合うラストシーンが胸を打ちます。
産めなかった女性と、育てられなかった少女と、全く立場は違っても、ふたりとも間違いなく「母」なのだと、そう強く訴えかけてくるような感動的な結末でした。
妊娠と出産は本来とても幸せなイベントのはずですが、だからこそ、苦しむ人たちも出てきてしまう。
そうした人たちを救うためにはどうしたらいいのだろうと、深く考えさせられる作品でした。
☆5つ。