tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『また次の春へ』重松清

また次の春へ (文春文庫)

また次の春へ (文春文庫)


「俺、高校に受かったら、本とか読もうっと」。幼馴染みの慎也は無事合格したのに、卒業式の午後、浜で行方不明になった。分厚い小説を貸してあげていたのに、読めないままだったかな。彼のお母さんは、まだ息子の部屋を片付けられずにいる(「しおり」)。突然の喪失を前に、迷いながら、泣きながら、一歩を踏み出す私達の物語集。

これはダメです。
何がダメって、電車の中とかカフェとか、とにかく人目のあるところで読んじゃダメ。
泣いてしまうから。


重松清さんの作品には毎回泣かされています。
本書は東日本大震災をテーマにした短編集ということで、もうテーマからして泣けることは確定しているようなものですが、文章自体は短編だからということもあるのかもしれませんが意外と淡々としています。
それでも泣かされたのは、題材の選び方がうまいからだと思います。
トン汁、写真、本、しおり、時計、カレンダー……。
そういったごく身近な、私たちの日常に寄り添うアイテムが物語の中で効果的に使われていて、突然の大災害によって人々の日々の営みが断ち切られる理不尽さや悲劇を印象付けています。
日常は奪われてみて初めてその大切さに気付くものとは言いますが、被災していない人間が日常の大切さに気付くための方法のひとつが、このような物語を通じて日常が奪われるというのはどういうことかを知ることなのだと思います。


収録されている全7編の中では「トン汁」や「記念日」の評価が高いようですが、私が一番心を揺さぶられたのは「しおり」でした。
高校入試の国語で出題された小説の本が家にあったため、同じ高校を受けた幼なじみに貸してあげた主人公。
けれども幼なじみは中学の卒業式当日、津波にさらわれ行方不明になってしまいます。
時が過ぎ、やがて幼なじみの母親から返却された読みかけの本には、本物の葉っぱを使って作られたしおりが挟まれていて――。

三月十日の夜、ベッドで眠りに就く前にしおりを本に挟んだとき、慎也は翌日の午後に自分を待っている運命には気づいていない。しおりを本に挟むというのはそういうことだ。一番小さな未来を信じた証が、薄いひとひらのしおりなのだ。
明日、また――。
また、明日――。
あの夜も、数えきれないぐらいたくさんのひとが読みかけの本にしおりを挟んで眠り、それきりになってしまったひともたくさんいるのだろう。


87ページ 1~7行目

この箇所を読んで、涙がこらえきれなくなりました。
読書好きの私にとって、本にしおりを挟むというのは非常に日常的な行為です。
毎日毎日、日課のようにやっています。
そして、しおりを挟んだ本を、それきり二度と開けないなどということは、想像したこともありません。
その本の続きを読むという未来を、一度たりとも疑ったことはないのです。
でも、その小さな未来が永遠にやってこなくなる。
それが突然日常を断ち切られるということなのだと、心底理解できた気がしました。
本が好きな方、読書を習慣にしている方なら、きっと共感していただけるのではないでしょうか。


その他の話でも、写真やカレンダーへの被災者の複雑な思いにハッとさせられたり、原発事故の避難民を描いた「帰郷」の救いのなさに深刻な現実を見て重い気持ちになったりしました。
単に泣かせる話というだけではなく、作者が実際に被災地へ足を運び、綿密な取材をされた上で書かれたということもしっかり伝わってくる作品でした。
今も九州で大きな地震が何度も起こっており、日常を断ち切られ不安な思いをしている人たちがいるということを考えると胸が苦しくなりますが、少しでも被災者の心に寄り添えるように、今後も折に触れて災害をテーマにした本を読んでいくつもりです。
そして明日は我が身ということも忘れずに、非常事態への備えをしていこうと思います。
☆4つ。