tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『くちびるに歌を』中田永一

くちびるに歌を (小学館文庫)

くちびるに歌を (小学館文庫)


長崎県五島列島のある中学合唱部が物語の舞台。合唱部顧問の音楽教師・松山先生は、産休に入るため、中学時代の同級生で東京の音大に進んだ柏木に、1年間の期限付きで合唱部の指導を依頼する。
それまでは、女子合唱部員しかいなかったが、美人の柏木先生に魅せられ、男子生徒が多数入部。ほどなくして練習にまじめに打ち込まない男子部員と女子部員の対立が激化する。
一方で、柏木先生は、Nコン(NHK全国学校音楽コンクール)の課題曲「手紙~拝啓 十五の君へ~」にちなみ、十五年後の自分に向けて手紙を書くよう、部員たちに宿題を課していた。
提出は義務づけていなかったこともあってか、彼らの書いた手紙には、誰にもいえない、等身大の秘密が綴られていた――。

中学校の合唱部がいろんな騒動やトラブルを経験しながらNHK全国学校音楽コンクール(Nコン)を目指すという、直球ど真ん中の青春小説です。
こんなまっすぐな青春物語は久しぶりに読んだ気がします。


五島列島のとある中学校の合唱部。
顧問の松山先生が産休に入ることになり、松山先生の中学時代の友人・柏木先生が東京から故郷へ戻ってきて、1年間松山先生の代理をすることになります。
美人の柏木先生に惹かれて、合唱部には男子部員が急増。
女声合唱から混声三部合唱に変更して、Nコン長崎県大会に出場することになった合唱部でしたが、部員たちはなかなか一つにまとまることができず――。


物語は合唱部員の仲村ナズナと、美人の柏木先生に惹かれてではなく合唱部員の長谷川コトミに誘われて入部した桑原サトルの2人の視点で進行していきます。
母を亡くした後、父が愛人を作って家を出て行ったことがきっかけで男性嫌いになったナズナ
同級生たちとうまくコミュニケーションできず、いつも「ぼっち」のサトル。
それぞれに悩みを抱えつつ、2人は真剣に合唱部の活動に取り組みますが、部員全員が合唱に熱意を持っているわけではありません。
真面目に練習に取り組まない男子部員たちと、その男子部員たちをめぐって対立する女子部員たちという、いかにも中学校の部活動でありそうなシチュエーションに、とても懐かしいような気持ちになりました。
運動部ならば男女別のため起こらない種類の問題が、男女混合の文化部では起こる。
それが文化部の面白さであり、難しさでもありますね。
部内での恋愛やけんかなど、普通の中学生の普通の部活動が淡々と描かれていく中盤までは本当に普通の青春部活小説という感じですが、後半にはさまざまな事件が起こり、俄然面白くなります。
ナズナの幼い頃の母との思い出のエピソード、サトルの兄の自閉症に関するエピソード、コトミの恋愛絡みのエピソードなど、途中に挟まれるいくつかの小さなエピソードが伏線として終盤にかけて一気に効いてくるところは、ミステリではない作品でも中田永一さんの持ち味が十分発揮されているなぁとうれしくなりました。


この作品自体はフィクションですが、ストーリーは一部現実を下敷きにしています。
Nコンは実際に毎年開催されている音楽コンクールで、合唱に縁のない人でもテレビなどで見た経験のある人は多いのではないかと思います。
作中で課題曲として部員たちが歌う「手紙~拝啓、十五の君へ~」も、実際にNコンの課題曲として歌手のアンジェラ・アキさんが提供した曲です。
その歌詞が作中にも引用されていますが、改めて小説の中で読むと本当に心に響く素敵な歌詞で、思わずアンジェラ・アキさんの曲が聴きたくなってしまいます。
混声合唱の場合、15歳の「僕」が語り手となっている1番の歌詞を女声が歌い、大人になった「僕」が語り手の2番の歌詞を男声が歌うことで、主人公の声変わりを経ての成長を表現しているという説明にはなるほどなぁと思い、混声合唱ならではの面白さが少し分かった気がします。
アンジェラ・アキさんの歌ももちろんいいのですが、混声合唱での「手紙~拝啓、十五の君へ~」も実際に聴いてみたいなと思いました。
そして、臨時顧問の柏木先生が、部員たちにも「15年後の自分への手紙」を書かせるというエピソードがいいですね。
サトルが書いた手紙が終盤に登場しますが、その内容がなかなか泣かせます。
15年後にサトルが15歳の時の自分が書いた手紙を読んだら何と思うのか、そしてどんな返信を書くのか…と想像するのも楽しかったです。


15歳の中学生たちの等身大の姿がとても気持ちよく、すがすがしい気分にさせてくれる作品でした。
音楽って本当にいいものですね。
青春真っ只中の少年少女たちはもちろん、「苦くて甘い今を生きている」(「手紙~拝啓、十五の君へ~」の歌詞より)大人たちも、ふとくちびるに浮かべた歌に背中を押されたり救われたりすることは確かにあるのだと思います。
☆4つ。