tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『ジーン・ワルツ』海堂尊

ジーン・ワルツ (新潮文庫)

ジーン・ワルツ (新潮文庫)


帝華大学医学部の曾根崎理恵助教は、顕微鏡下体外受精のエキスパート。彼女の上司である清川吾郎准教授もその才を認めていた。理恵は、大学での研究のほか、閉院間近のマリアクリニックで五人の妊婦を診ている。年齢も境遇も異なる女たちは、それぞれに深刻な事情を抱えていた―。生命の意味と尊厳、そして代理母出産という人類最大の難問に挑む、新世紀の医学エンターテインメント。

相変わらず海堂尊さんの医療小説は安定していますね。
確かな筆力と、医師としての豊富な知識と経験に裏打ちされたリアリティあふれる描写でぐいぐい読ませます。
もちろん主張がはっきりしていてメッセージ性が高い上に、今回は泣かせる場面もあり、ボリュームの割に充実した内容となっていました。


今回の舞台はいつもの海堂ワールドの中心舞台・桜宮市ではなく、首都・東京。
地方の医療が崩壊する中、恵まれた医療環境にある帝華大学の大学病院で体外受精を専門とする「冷徹な魔女(クール・ウィッチ)」、曾根崎理恵が主人公。
さまざまな不幸が重なり閉院が決まった産婦人科病院で診療を行う理恵の「ある企み」とは…。


産婦人科医の減少をはじめとして、日本の産婦人科医療が危機的状況にあることはいまや周知の事実。
それが結局は少子化にもつながっているのだと思います。
しかし行政は少子化問題を重視しながらも、今のところ何一つ有効な手は打てていないというのが現実。
海堂さんはこの作品において、そんな現状に警鐘を鳴らすと共に、行政の無施策や過ちを徹底的に糾弾しています。
作中で舌鋒鋭く医療行政への意見を述べる主人公の理恵は、そのまま作者の代弁者なのでしょう。
さらには行政だけではなく、世間の産婦人科医療への無理解への批判も盛り込まれています。
妊娠・出産はいくつもの奇跡が重なることによって成り立つもの。
その過程において命に関わるような危機が起こることは当然ありうる。
けれどもその認識が患者の側に抜け落ちていること、安全なお産を実現するために過酷な医療業務をこなす医師たちに対する感謝が足りないこと…。
高度な医療は医療従事者だけではなく、行政や一般の患者たちも協力してこそ実現できるものであるという作者の主張は十分納得できます。


ただ、作品の中心テーマの一つ、代理母出産についてはやはり意見が分かれるところでしょうね。
私としては自分の子どもは自分で産みたいし、できれば代理母出産だけでなく卵子精子の提供を受けることや、体外受精も避けられるなら避けたいという気持ちです。
けれどもそれは自分が不妊症に苦しんでいるわけではないからこそ言えることなのかもしれない。
自然妊娠は不可能で、でもどんな方法を用いてでもどうしても子どもが欲しいという夫婦に対して、他人が「あきらめろ」などと言う権利があるのでしょうか。
この作品に書かれている通り、いまや医学上不妊は撲滅されました。
卵子がなければ(あるいは問題があるならば)借りてくればいい。
精子もまた然り。
さらには子宮だって借りられるのですから。
医学の進歩による解決法があるのに、その解決法が利用できないというのは理不尽なことのようにも思えます。
自分自身がその方法を利用するかしないかは別問題として、医学の進歩に法がついてきておらず、せっかくの医学の進歩が無駄になっているというのはやはり問題だと、この作品を読んで思いました。
生殖はあくまでも神の領域で人間が手を出すべきではないのか(これを突き詰めると避妊や中絶も神の領域に手を出すことだと言えなくもない気がするのですが…)、どこまでなら人間が生殖をコントロールすることが許されるのか。
今の社会ではまだまだ議論が十分だとは言えないと思います。
賛否両論あって当然、もっともっといろんな意見を出し合って、議論を尽くして、医療技術の現状に合わせて法を整備していかなければなりません。
それが最終的には少子化の解消にも結びついていくのだと思います。


でも、「母」になる女性の想いは、そうした社会制度や技術や論理などといったものを超越したところにあるのでしょうね。
作中に登場する妊婦たちの幾人かは、母になるに当たって過酷な現実を突きつけられます。
そして主治医の理恵も驚くような決意と選択をして、母になっていきます。
終盤の出産シーンは感動の連続でした。
みんなこうして母になっていくんだね。
みんなこうやって、この世に産み落とされたんだね。
その奇跡を守り続けられる社会であってほしいと、心から思いました。
☆4つ。