tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『獣の奏者 【I 闘蛇編】【II 王獣編】』上橋菜穂子

獣の奏者 1闘蛇編 (講談社文庫)

獣の奏者 1闘蛇編 (講談社文庫)

獣の奏者 2王獣編 (講談社文庫)

獣の奏者 2王獣編 (講談社文庫)


リョザ神王国。闘蛇村に暮らす少女エリンの幸せな日々は、闘蛇を死なせた罪に問われた母との別れを境に一転する。母の不思議な指笛によって死地を逃れ、蜂飼いのジョウンに救われて九死に一生を得たエリンは、母と同じ獣ノ医術師を目指すが―。苦難に立ち向かう少女の物語が、いまここに幕を開ける。

著者の代表作「守り人」シリーズと同様、非常にしっかりした骨格を持ったファンタジーです。
上橋さん自身が解説で書かれている通り、決して子ども向けに書かれたのではない、大人向けの本格的ファンタジーなのだということが、読み終えた今よく分かります。


ファンタジーやSF作品はその非現実部分を説明するために文章を割きがちですが、この作品に限らず上橋さんの作品ではそういうことがありません。
ページを開いた瞬間から物語がどんどん動き出してゆき、どうなるのだろうと展開を追って読み進めるうちに、自然に物語の中の世界のことが分かるようになっています。
説明的な文章を読まされるのは特に小説においては苦痛になりますが、上橋さんの作品はそんなことは全くないので、ファンタジーにこれまであまり触れたことのない人でも抵抗なく読め、物語の中に引き込まれていくのだと思います。
現実には存在しない想像上の異世界のことを描いてはいても、主人公のエリンをはじめとする登場人物たちの心情が丁寧で、彼らの住まいや食事などの暮らしぶりもまるで作者が実際にその世界に行って見てきたかのように生き生きと描かれているので、現実の世界と異なる部分もすんなりと受け入れられます。
ストーリー展開の方も、序盤からきっちりと伏線を張りながら、多くの謎を終盤まで引っ張っていくので、上質のミステリのようにぐいぐい読ませます。
ファンタジー作品は数あれど、これほどまでに描写やストーリー展開がうまい作家はほとんどいないと思います。
何気なく書店で手に取った『精霊の守り人』をきっかけに上橋さんという作家と出逢えたことを、本当にうれしく思っています。


「霧の民(アーリョ)」と呼ばれる特殊な一族の出身である母と、戦闘のために飼い馴らされた闘蛇という生き物を世話する闘蛇衆である父との間に生まれた少女・エリン。
ある日起こった事件で母を失ったエリンは孤児となり、偶然自分を拾ってくれた蜂飼いのジョウンに育てられることになります。
蜜蜂の世話をし、野生の王獣を目撃するという経験を経て、自らも母と同じ道を目指そうとカザルム学舎に入学したエリンは、そこで傷ついた幼い王獣・リランと運命の出会いをします。
王獣が「けっして人には馴れず、馴らしてはならぬ獣」と言われるのはなぜなのか、母が最期に遺した言葉の意味は何だったのか、王獣を育てる者たちが「王獣規範」という戒律に縛られているのはなぜなのか…。
さまざまな謎がくすぶり続ける中、エリンは次第にリランと心を通わせるようになっていきます。
けれども獣はやはり獣…。
やがて王獣と人との関わりの実態を知り、過去にどんな悲劇があったのかを知ったエリンは、自らがリランを「野に在る獣と同じように」育てたのは間違いだったのかと苦しむことになります。


獣=自然とどのように関わっていくか、それはエリンたちの世界だけでなく、現実のこの世界に生きる人間にも突きつけられている、重い問いです。
「自然との共存」という言葉があちこちで語られていますが、それは本当に実現可能なことなのでしょうか。
人間は人間、自然は自然、と割り切ることも必要なのではないかと、この作品を読んでいるとどうしても考えずにはいられません。
人間が自然をコントロールできるなどと考えるのは非常に傲慢な考えだと思います。
そして興味深いのは、この作品で獣を操り人間の醜い欲望や戦いに利用しようと考える人間は、獣だけでなく自分以外の人間をも軽んじる愚かな人間として描かれていることです。
そのような人間たちに対し、悲壮なまでの決意を持って自らの信念を貫こうとするエリンの姿に何度も胸を打たれました。

「人というものが、こんなふうに物事を考えて、進んでいく生き物であるのなら、そのまま行ってしまえばいい。人という生き物が殺し合いをしながら均衡を保つ獣であるのなら、わたしが命を捨てて<操者ノ技>を封印しても、きっと、いつかまた同じことが起きる。そうやって滅びるなら、滅びてしまえばいい……」


獣の奏者 II 王獣編』 382ページ 10〜13行目

「そうじゃ」という同じ音を持つ言葉、「操者」と「奏者」。
この2つの決定的な違いが何なのかがラストシーンではっきりと分かったとき、感動の涙が止まりませんでした。


ちょうどこの文庫化と同時に続編となるIIIとIVが刊行されました。
続編では母となったエリンを描いているのだそうです。
…旦那さんはきっとあの人かな。
そんな想像をしながら、もちろん続編を楽しみにしてはいるのですが、「今すぐ読みたい!我慢できない!」という気持ちではないのは、きっとこのIとIIで一旦物語がきちんと閉じていて、今はもう少しこの感動に浸っていたいという思いがあるからなのだと思います。
非常に読み応えがあり、満ち足りた読後感を味わえました。
☆5つ。