tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『神の守り人』上橋菜穂子

神の守り人〈上〉来訪編 (新潮文庫)

神の守り人〈上〉来訪編 (新潮文庫)

神の守り人〈下〉帰還編 (新潮文庫)

神の守り人〈下〉帰還編 (新潮文庫)


女用心棒バルサは逡巡の末、人買いの手から幼い兄妹を助けてしまう。ふたりには恐ろしい秘密が隠されていた。ロタ王国を揺るがす力を秘めた少女アスラを巡り、“猟犬”と呼ばれる呪術師たちが動き出す。タンダの身を案じながらも、アスラを守って逃げるバルサ。追いすがる“猟犬”たち。バルサは幼い頃から培った逃亡の技と経験を頼りに、陰謀と裏切りの闇の中をひたすら駆け抜ける。

「守り人」シリーズも終盤に入り、ますます面白くなってきました。
今作は戦いの場面が多く、冒頭からいきなり血なまぐさいシーンが展開されるので、これまでのシリーズ以上の緊迫感がありました。
陰謀、裏切り、罠…そういった要素が入り乱れ、さすがのバルサも何度も傷ついて死線をさまよい、「癒し系」男子のタンダまでもが戦いの中に巻き込まれていきます。
そんな物語の中で浮かび上がってきたのは、バルサが抱える深い闇と、バルサとタンダの絆の強さでした。


今回、バルサは偶然見かけた幼い兄妹を人買いの手から救い出します。
妹の方のアスラは、実は恐るべき力をその身に秘めており、その力を利用しようとする者たちの陰謀が兄妹の周りを渦巻いていたのでした。
アスラの力を目の当たりにし、アスラと関わることは非常に危険なことだと知ったバルサは、それでも兄妹を助けることを選びます。
快楽のままに人に暴力を振るい、殺すことの罪深さと、そのような行為がもたらす苦しみを身を持って知っているバルサ。
バルサのすごいところは、自らの罪も、闇も、弱さも、ちゃんと自分でよく分かっていて、そこから逃げることをしないことだと思います。
早くに肉親を失い、バルサに戦いを仕込もうとする養父ジグロの地獄のしごきの日々を耐え抜き、用心棒として危険な目に遭い何度も死にかけた経験を持つバルサですが、「不幸な境遇を言い訳にして罪を犯すことは許されない」と過去の自分の罪に向き合い、死に逃げるのではなく生きることで自分の罪を裁こうとするなど、なかなか出来ることではないでしょう。
物語終盤の、タンダがバルサの抱える闇を想って静かに涙を流す場面や、エピローグでのバルサの最後のセリフなどは、涙なしには読めませんでした。


「戦う女」バルサと「待つ男」タンダの微妙な関係もこのシリーズの読みどころの一つだと思うのですが、今作ではいきなり2人が急接近していてちょっとビックリしてしまいました。
でもそれは、緊迫した戦いが続く中で2人の信頼関係の強さが浮かび上がってきたからなのだと思います。
バルサもタンダも、お互いに相手のことを信じる気持ちがとても強いのですね。
だからこそバルサは迷いなく戦いに身を投じることができるのだろうし、タンダは「おまえを失いたくない」と言いながらも危険な場所へ赴くバルサを見送ることができるのだと思います。
「赤い糸」なんていうロマンチックで繊細な絆ではなく、太い縄のような全く揺らぐことのない固い絆が2人の間にはあるのでしょう。
そんな2人の関係をうらやましく思うと同時に、とても切ないような気持ちにもなりました。
彼らがそんな固い絆を結ぶことができたのも、過酷な運命をたどってきたからこそだと思うからです。
普通のカップルとして平和で穏やかな生活を送るなど出来そうもない宿命の中に生きる2人が、いつかゆっくりと向き合うことのできる日は来るのでしょうか…。


それにしてもタンダの精神的な強さには感動せずにはいられません。
たまに「守り人」シリーズの読者の中に「タンダはヘタレ」という認識を持っている方が見受けられますが、私は全くそうは思いません。
むしろこんなに強い人はいないと思うのです。
自分の愛する女性が戦いで深い傷を負って死にかけているのを見ることほどつらいことはないと思いますし(タンダは怪我の治療もするのでバルサの傷の数も深さも誰よりもよく知っていますしね)、本音では「もうやめてくれ」と言いたいだろうに、戦いをやめられないバルサの宿命も闇も全て受け止めて、十分傷が癒えないうちからまた危険な戦いの場へ出て行くバルサを見送り、ただひたすら無事を祈りながら彼女の帰りを待ち続ける…。
こんな生活に耐えられる男性、そうそういないと思います。


なんだかこのシリーズは語りだすと止まらないなぁ。
他にも、人を「盤上の駒」としてしか見ることのできない者の傲慢さと愚かさとか、まだまだ語り足りない部分がいっぱいあります。
この作品で描かれる民族間差別などは、上橋菜穂子さんが本職であるアボリジニ研究で学んでこられたことが反映されているような気がして、とても興味深かったです。
とても子ども向けの作品とは思えない重厚さで今回も大満足でした。
☆5つ。