tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『対岸の彼女』角田光代

対岸の彼女 (文春文庫)

対岸の彼女 (文春文庫)


専業主婦の小夜子は、ベンチャー企業の女社長、葵にスカウトされ、ハウスクリーニングの仕事を始めるが……。結婚する女、しない女、子供を持つ女、持たない女、それだけのことで、なぜ女どうし、わかりあえなくなるんだろう。多様化した現代を生きる女性の、友情と亀裂を描く傑作長編。第132回直木賞受賞作。

あ〜面白かった。
こんなに登場人物に共感できて、自分にとって身近な話と思えた小説を読んだのは久しぶりかも。


とにかく、身につまされるというか、登場人物の喜びや悲しみが自分のもののように感じられる作品でした。
小夜子は3歳の娘を持つ専業主婦。
人付き合いが苦手で、公園でのママ友達の輪にうまく入れず、自分の子育てに閉塞感を感じていたが、一念発起して同年代の女社長、葵が経営する会社で仕事を始める。
この小夜子の物語と並行して語られるのは、小夜子の雇い主である女社長、葵の過去の物語。
いじめが元で転校した高校生の葵が出会ったのは、学校ではどの友達グループにも属さない、一見何の悩みもなさそうな明るい少女、ナナコだった。
葵とナナコはやがて放課後に親しく付き合う仲になり、そして…。
時間軸の異なる2つのパートが交互に語られますが、混乱するようなことはありません。
高校生の葵とナナコの友情はやがて意外な展開を見せ、ほろ苦い結末を迎えますが、それと呼応するように小夜子と大人になった葵の物語のほうも大きな転換を迎えます。


私が女に生まれてよかったと思うことの一つは、女性の方が男性よりも選択肢が多いということです。
小夜子のように専業主婦の道を選んで家事と育児に専念してもよし、葵のように結婚せず子どもも産まず仕事に没頭してもよし。
あるいは働きながら子どもを育てるという道だってもちろんあります。
男性はと言うと、ようやく最近家事や育児に積極的に関わる男性が増えてきたとは言え、専業主夫になる人はやはりまだまだ稀でしょう。
同じ「独身・無職」でも、女性ならば「家事手伝い」と言われそれほど問題視されないのに対し、男性だと「ニート」などと呼ばれて冷たい視線を浴びせられる傾向があります。
男性が選択できることは、結婚するかしないかぐらいしかないように思えます。
…もちろんこうした状況も、時代と共にこれからも変わっていくのでしょうけれど。
でも、女性の権利がある程度拡大した今の時代は、女性の方が選択肢が多くあって有利だという気が私はしています。
けれども、選択肢が多いということはメリットだけではなくデメリットでもあります。
同じ女性なのに、「働く/働かない」「結婚する/結婚しない」「子どもを持つ/持たない」など、身を置く環境や生き方の違いにより女性同士の間で境界線のようなものが引かれてしまうことです。
女性なら誰でも、自分と立場の違う女性に対して距離を感じてしまった経験があるのではないでしょうか。
だからなのか、大人になった女性同士の人間関係にはなかなか難しいものがあります。


そんな女性同士の難しい人間関係をまざまざと描き出したのがこの小説。
あまりにもリアルな人間関係と感情が、身につまされます。
でも、立場は違っていても、やはり女性同士、分かり合えるところはたくさんあるのかもしれない。
壁を作ってしまわずに、他人との関わりを恐れずに一歩踏み出してみれば、数々の出会いが人生をもっと充実したものにしてくれるのかもしれない。
それぞれの立場で思い悩み、泣いて笑った小夜子と葵が最後に踏み出した一歩には大きな希望が感じられて、同じ女性としてとても勇気付けられました。
本当に読んでよかったと思える一冊です。
☆5つ。


ところでこの作品、男性が読んだらどんな風に感じるのかなぁと思っていたら、タイミングのよいことにとあるテレビ番組でこの本が紹介されて、読んだという男性キャスターが感想を述べていました。
曰く、「男性でも、むしろ男性だからこそ、いたたまれない」だそうです。
なるほど、確かにそうかもしれないなと思いました。
この作品に登場する男性はどうもみんなパッとしない。
特に、出かける小夜子から娘の子守を頼まれて「押し付けられた」などと感じたり、小夜子の仕事を「誰にでも出来る意味のない仕事」としか思えない小夜子の夫、修二は、家事に育児に仕事にと活発に動き回り生き生きとしている小夜子に比べ、なんだかとても哀れなように思えました。
角田光代さんは意図的に修二をステレオタイプな「理解のない夫」として描いているのでしょうが、現実にこういう男性は多いことでしょう。
女性はあちらこちらに活躍の場を広げ、難しい人間関係に対処しながら、どんどん強くたくましくなっていく。
それに比べ男性は…。
…やっぱり、女に生まれてよかったなぁ。