tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

2022年11月の注目文庫化情報


寒いと感じる日も多くなってきました。
ホットコーヒーを飲みながらの読書がはかどる季節ですね。


11月の注目文庫は少なめですがジャンルがバラバラなのが面白いです。
小野寺さんの『まち』は『ひと』の続編ということでいいのでしょうか。
『ひと』はしみじみといい話でしたので『まち』も気になっています。
奥田英朗さんは最近ご無沙汰なので久しぶりに読んでみようかな。
忙しくなってくる時期ですが、スキマ時間を活用して読書も進めていきたいです。

『本を守ろうとする猫の話』夏川草介


「お前は、ただの物知りになりたいのか?」
夏木林太郎は、一介の高校生である。幼い頃に両親が離婚し、さらには母が若くして他界したため、小学校に上がる頃には祖父の家に引き取られた。以後はずっと祖父との二人暮らしだ。祖父は町の片隅で「夏木書店」という小さな古書店を営んでいる。その祖父が突然亡くなった。面識のなかった叔母に引き取られることになり本の整理をしていた林太郎は、書棚の奥で人間の言葉を話すトラネコと出会う。トラネコは、本を守るために林太郎の力を借りたいのだという。
お金の話はやめて、今日読んだ本の話をしよう――。

現役の医師であり、『神様のカルテ』が大ベストセラーになった作家・夏川草介さんによる初の非医療小説です。
人語を話す猫が出てくるとのことで、どうやらファンタジーのようだけど、さてジャンルが変わるとどうなるのか……?と興味津々で読み始めましたが、医療だろうがファンタジーだろうが、夏川さんの書く作品はどこまで行ってもやっぱり夏川ワールドでした。


夏川ワールドの要素その1は、本への、文学への愛があふれていること。
神様のカルテ」シリーズの主人公・栗原一止は文学、特に夏目漱石をこよなく愛する医師で、常に漱石の本を持ち歩いています。
本作の主人公である夏木林太郎は、まだ高校生ながら古書店を営む祖父の影響でかなりの読書家、しかも古今東西の名作文学を読み込んでいるという生粋の本好きです。
こうした主人公像に、作者自身の姿が重なります。
本作にはたくさんの実在の書名や作家名が登場する上、それらの作品からの引用やオマージュもたっぷり盛り込まれています。
これはもちろん作者自身の文学への深い愛と造詣があってこそ書ける趣向です。
主に大衆文学を好んで読み、純文学や古典文学には疎い私には、作中の数々の引用やオマージュの元ネタを全部理解できたとは到底思えません。


そして夏川ワールドの要素その2は、ちょっと頼りない男性主人公を支える、しっかり者のヒロインが登場すること。
一止の妻であるハルさんは本当に魅力的な女性で、女の私から見ても理想的な奥さんです。
それは決して伝統的価値観に基づく良妻賢母という意味ではなく、いえ、良き妻であり良き母であることには違いないのですが、同時に世界を飛び回る山岳カメラマンとして自立した女性でもあるという、非常に現代的なヒロインなのです。
本作で引きこもりの林太郎を導くのは、同じクラスの学級委員長である柚木沙夜。
勝気な少女ですが学校を無断欠席する林太郎を気にかける優しさがあり、林太郎が薦めた本を「難しい」と言いながらも読んでいく素直さもあります。
気の弱いところのある林太郎とは好対照ですが、だからこそ林太郎に欠ける部分を補いはっきりとものを言える沙夜は、理想のパートナーと言えます。


ですが「夏川ワールド」は今回、私のようなただ娯楽としての読書を楽しんでいる本好きにとっては少し耳の痛い部分もある物語でした。
たとえば、林太郎が沙夜に「読みやすい本には君が知っていることしか書かれていない」と言う場面。
「読みやすい」は本の評価としてよくある言葉です。
私もこのブログで時々使っています。
けれども、「読みやすい」本ばかり読んでいると、新たな知識や考え方は得られないのではないかと、林太郎は指摘しているのです。
いやはや、まったくその通りで、高校生の林太郎に対して、お見それしました、弟子にしてくださいと頭を下げたくなってしまいました。
そんな林太郎だからこそ、作中に登場する「本を愛しているはずが、どこか歪んでいる人たち」へ投げかける言葉にも説得力があります。
読んだ本の内容ではなく冊数を重要視する男、読書を効率化しようと短いあらすじを作る研究者、本は売れることがすべてだとうそぶく出版社の社長――。
こうした人々を読書家ではあっても引きこもりの高校生でしかない林太郎が論破していく様子は痛快ですし、同時に現代における本をめぐる状況を憂える作者の嘆きと、それでも本は素晴らしいものだという祈りにも似た叫びが聞こえてくるようで、胸を打たれました。


社会人になると忙しい日々の中、なかなか重厚な文学作品を読もうという気が起こらず、ついつい読みやすいベストセラー本にばかり手を伸ばしていましたが、やはりたまには難しい本にも挑戦してみなければ、とつくづく思いました。
読書の楽しみというのは、ジャンルにとらわれない幅広い豊かな読書にこそあるものだよと、作者に諭された気分です。
そうして私も「本を守ろうとする」人間のひとりになれたら、それはなんと幸せなことでしょうか。
☆4つ。

『Iの悲劇』米澤穂信


Iターンプロジェクト担当公務員が直面するのは、過疎地のリアルと、風変わりな「謎」――。
無人になって6年が過ぎた山間の集落・簑石を再生させるプロジェクトが、市長の肝いりで始動した。
市役所の「甦り課」で移住者たちの支援を担当することになった万願寺だが、課長の西野も新人の観山もやる気なし。
しかも、公募で集まってきた定住希望者たちは、次々とトラブルに見舞われ、一人また一人と簑石を去って行き……。
直木賞作家・米澤穂信がおくる極上のミステリ悲喜劇。

過疎地に人を呼び込むことの困難さと、地方自治体の厳しい経済状況といった社会的なテーマに日常の謎を絡めたミステリ作品です。
ちょっとブラックな味わいを持っていて、どこか『満願』を彷彿とさせる読み心地が個人的には非常に好みでした。
さすが米澤さん、読ませるなあと感心するばかりです。


いくつかの市が合併して誕生した地方都市、南はかま市。
その山間部にある小さな集落・蓑石は高齢化により限界集落と化し、ついには住人がまったくいなくなりました。
それから6年後、蓑石に移住者を呼び込んで再生させるIターンプロジェクトが発足し、南はかま市役所の「甦り課」でプロジェクト担当として移住者たちのサポートをすることになった万願寺が、移住者たちが起こすさまざまなトラブルや事件に巻き込まれていく様子が描かれます。
いやもう、なんというか全編を通して非常に身につまされる話ですね。
一言でいうと「地方公務員はつらいよ」ということでしょうか。
市の政策に疑問があっても文句は言えない、市民からは理不尽な苦情を吹っかけられる、改善すべき問題箇所を見つけても予算不足の壁が立ちはだかりどうにもできない……。
そして上司である西野課長は喫煙所に行けば当分は戻ってこず、定時でさっさと帰ってしまうやる気のなさで、後輩で新人の観山はノリが軽くて言動にハラハラさせられる。
そんな中でひとり遅くまで職場に残って残業をし、なんだかんだ文句を言いながらも誇りを持って仕事に取り組む万願寺には尊敬の念を抱きました。
私自身は地方公務員ではありませんが、理不尽なことを言われたり、予算不足でやれることが制限されたり、やる気のない同僚にうんざりしたり、といった経験はあります。
公務員ではなく会社員であっても、仕事に関するこうした不満はつきものでしょう。
働いたことのある人なら誰でも、万願寺には同情と共感を覚えるはずです。


そうした地方公務員の悲哀を描きつつ、優れたミステリでもあるというのが本作の最大の魅力です。
騒音トラブルを起こした家で起きた小火の謎、子どもの行方不明事件、次々に姿を消す稚鯉の謎など、蓑石に移住してきた住人たちが引き起こすトラブルや謎を解決していく「日常の謎」ミステリの妙味を存分に味わわせてくれます。
そして、そうした事件やトラブルを解決していく中で、全編を通しての謎も少しずつ浮かび上がってくるのです。
仕事に対してやる気のかけらもなさそうな西野課長も、どこか軽薄な観山も、どうやら無能というわけではないらしい。
むしろ意外な有能さが垣間見える場面がちょくちょくあり、もしかしてこの人たち何かを隠している?という疑惑が読み進めるうちに強くなっていきます。
そして迎える終章でのどんでん返しが、なんとも鮮やかでした。
同時にむなしく悲しくやるせない気持ちが湧き上がります。
なんともいえないもの悲しい余韻に浸りながら、米澤さんらしい伏線の妙に感心しました。
特に作中に何度も登場する「予算不足」の言葉が、地方行政の困難さを強調するためだけではなく、ミステリの伏線としても使われていたことには驚かされると同時に、なんと効果的な使い方なのかと舌を巻きました。
最後の一文は帯にも「そして誰もいなくなった」と少し形を変えて引用されていますが、有名ミステリを想起させつつもその作品とは違った意味を持たせ、本作ならではの着地点にたどり着かせたのは、非常にひねりが効いていて巧いなあと感嘆しきりです。


ああ、やっぱり私は米澤さんのミステリが好きだなあと、つくづく再確認させられた1冊でした。
コミカルな部分とダークな部分をあわせ持ち、苦みと切なさをまとって、なおかつ謎解きの面白さを存分に詰め込んだ良作です。
☆4つ。




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