tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『隠れの子 東京バンドワゴン零』小路幸也


江戸北町奉行所定廻り同心の堀田州次郎と、植木屋を営む神楽屋で子守をしながら暮らしている少女・るうは、ともに「隠れ」と呼ばれる力を持つ者だった。州次郎はたぐいまれな嗅覚を、るうは隠れの能力を消す力を……。州次郎の養父を殺した者を探すべく、ふたりは江戸中を駆け巡る。それはまた隠れが平穏に暮らすための闘いだった。「東京バンドワゴン」シリーズのルーツとなる傑作時代長編小説。

東京バンドワゴン」シリーズのスピンオフ的な位置づけである本作ですが、なんとまさかの時代小説。
しかも小路さんが時代小説を書かれるのは、これが初めてとのことです。
初のスピンオフにいきなり作家として初挑戦のジャンルを選ぶとはなかなか大胆ですが、実際に読んでみて、小路さんは時代小説もテレビの時代劇もお好きなんだろうなと感じました。


しかも本作はただの時代小説ではありません。
「隠れ」と呼ばれる特殊能力を持つ者たちの戦いを描いた、SFチックなバトルものなのです。
こう書くと時代小説としては邪道のような雰囲気も漂いますが、個人的には宮部みゆきさんの作品で超能力者×時代小説という組み合わせにはなじみがあったため、あまり違和感を感じませんでした。
本作のうまいところは、「隠れ」の特殊能力の具体的な内容がなかなか明かされないところです。
しかも、ほとんど説明もないままに、「ひとり隠れ」だの「ひなたの隠れ」だの「闇隠れ」だのと、どんどん新しい言葉が登場します。
説明がないからこそ、え、これって何?この物語はどういうお話なの?と気になってどんどん読み進めずにはいられないのです。
こうした謎の言葉の意味がわかるようになるのは、物語が後半に入ってから。
そして言葉の意味がすべてわかったころには、ある悪の組織との決戦が間近に迫るという物語の佳境に入るので、今度はその戦いの行方が気になってページを繰る手が止められません。
戦いの場面も迫力があって面白く読めましたし、「隠れ」の人々の特殊能力の使い方が多彩で、超能力ものとしても興味深いものでした。


東京バンドワゴン」シリーズのファンとしては、シリーズとのつながりが気になるのは言うまでもありません。
タイトルにもちゃんと「東京バンドワゴン」と入っていることですしね。
登場人物のひとり、江戸北町奉行所定廻り同心の堀田州次郎が、「東京バンドワゴン」シリーズの堀田家のご先祖様ということですが、本作は江戸時代のお話で、登場人物の視点から描かれているため、作中に明確に「ご先祖様である」と明言されているわけではありません。
そして、堀田州次郎以外にシリーズとのかかわりをほのめかすような人物や物事も登場しません。
それでも、やっぱりこの作品は間違いなく「東京バンドワゴン」シリーズに連なる作品なのだと感じました。
何かの騒動や問題が起こってそれを家族や近隣の人々の力で解決していく筋書きや、柔らかく優しい雰囲気の文体が、シリーズに共通のものだと思うのです。
堀田州次郎が男性でも見とれてしまうような美形であるというのは、「東京バンドワゴン」シリーズの登場人物、堀田青を彷彿とさせ、もしかして州次郎の遺伝子が後の世代の青に強くあらわれたのかな、なんて想像して楽しい気持ちになりました。
さらに、結末の展開は同じく「東京バンドワゴン」シリーズの我南人がその場にいたら「LOVEだねえ」というあのおなじみのフレーズが放たれるところではないかと思ったりもしました。
こんなふうに、読者の想像力次第で「東京バンドワゴン」シリーズとのつながりや共通点をあちこちに見つけることができそうです。



時代小説+超能力ものとして普通に面白く、登場人物たちも個性的かつ魅力的で、「東京バンドワゴン」シリーズをまったく知らない人でも十分楽しめるであろう良作です。
最後には続編につながりそうな種まきもしっかりなされていたので、今後の展開も考えられているのかもしれません。
本編シリーズの続きが楽しみなのはもちろん、スピンオフのさらなる展開にも期待したいと思います。
☆4つ。




●関連過去記事●
tonton.hatenablog.jp

『宝島』真藤順丈


しのびこんだ米軍基地で突然の銃撃。混乱の中、故郷(シマ)いちばんの英雄が消えた。英雄の帰還を待ち望みながら沖縄(ふるさと)を取り戻すため立ち上がる、グスク、ヤマコ、レイ。長じて警官となり、教師となり、テロリストとなった幼馴染たちは、米軍統治下の時代のうねりに抗い、したたかに生き抜こうとする。第160回直木賞、第9回山田風太郎賞、第5回沖縄書店大賞、三冠達成の傑作!

直木賞受賞時から気になっていた作品です。
沖縄を舞台にした小説は今までにもいくつか読んできましたが、そのたびに自分が知るべき歴史や文化が沖縄にはまだまだあるということを思い知らされます。
それは本作も例外ではありませんでした。


太平洋戦争が終わり、米軍統治下の沖縄が舞台です。
コザで米軍基地から食料や医薬品、衣類などの生活必需品を奪ってきては地元住民たちに配る「戦果アギヤー」の英雄、オンちゃん。
オンちゃんの親友であるグスク。
オンちゃんの弟、レイ。
彼らの幼なじみで、オンちゃんの恋人となったヤマコ。
ある日、オンちゃん・グスク・レイを含むコザの戦果アギヤーたちは嘉手納基地に忍び込みますが、米軍に見つかって騒ぎとなり、その日を境にオンちゃんは姿を消し消息不明になります。
オンちゃんは生きているのか、生きているとしたらどこに潜んで何をやっているのか、オンちゃんがその日手にしたという「予定外の戦果」とは何なのか、グスクとレイが米軍から逃げる最中に迷い込んだ基地内の緑あふれる場所は一体何だったのか。
それらの謎が物語を引っ張り、読ませます。
謎とはいってもミステリではありませんが、オンちゃんがいなくなった日から大きく運命が変わり、それぞれバラバラの道を歩むことになったグスク・レイ・ヤマコの3人の物語が南の島の熱気を帯びて生き生きと描かれていて、強く引きつけられました。


「戦果アギヤー」は、実質的には泥棒なので、共感できるかというと難しい面があります。
けれども、そうした人たちがいないととても生きていかれなかったというのが、米軍統治時代の沖縄の現実だったのではないでしょうか。
とにかく何もかもが不足し、貧しかった終戦直後の沖縄の人々。
地上戦の悲劇の記憶も生々しく、戦後も米軍による犯罪や米軍機の墜落事故などの危険におびえなければならなかった沖縄の人たちの苦しみに、胸が痛みます。
大人になって琉球警察の刑事となったグスクは米軍の犯罪を取り締まろうとし、教師になったヤマコはやがて本土復帰運動に身を投じ、レイはテロリスト (と紹介されていますが日本本土におけるヤクザのようなもののようです) となって、それぞれに故郷を守ろうと、あるべき故郷の姿を取り戻そうと、闘います。
とはいえ、沖縄の人たちも必ずしも一枚岩ではありません。
米軍相手の商売で生計を立てている人も大勢いる。
そんな複雑な状況で、それでも沖縄を、沖縄の歌や踊りに料理、美しい海を愛する気持ちはみな同じだったのではないかなと思いました。
けれども、だからこそ、現在の沖縄を知っている読者にとっては、やるせなく切ないのです。
なぜなら知っているから。
彼らが闘って勝ち取ろうとしている沖縄の姿にはならないことを。
今も米軍基地は存在し、米軍人による犯罪も起き、軍事演習による騒音問題も解決していません。
本作の終盤に「この世界に後日談なんてものは存在しない」という文がありますが、まさに今もこの沖縄の物語は続いていて、これからも続いていくという実感がありました。
この物語は過去の沖縄を描く物語ですが、現在進行形の物語でもあるのです。


地の文は「語り部 (ユンタ―)」が物語を語っているという体裁になっており、沖縄の方言を含む話し言葉で書かれていて、その独特のテンポに心地よさを感じました。
「ニイニイ」「ネエネエ」といった親愛のこもった言葉の柔らかい響きが素敵だなと思う一方で、「なんくるないさ」という言葉については、本作を読んだ後では読む前とは違った重みが感じられるようになります。
苦難の連続の歴史を生き抜いてきた人々の発する「なんくるないさ」に込められた想いに気づくことができた、それだけでも本作を読んでよかったと思えました。
☆4つ。

『火のないところに煙は』芦沢央


「神楽坂を舞台に怪談を書きませんか」突然の依頼に、作家の〈私〉は驚愕する。忘れたいと封印し続けていた痛ましい喪失は、まさにその土地で起こったのだ。私は迷いながらも、真実を知るために過去の体験を執筆するが……。謎と恐怖が絡み合い、驚愕の結末を更新しながら、直視できない真相へと疾走する。読み終えたとき、怪異はもはや、他人事ではない――。

本屋大賞山本周五郎賞にノミネートされ、各種ミステリランキングにもランクインした話題作です。
作者の芦沢央さんのことは以前から気になっていたのですが、ようやく作品を読むことができました。


しかし実はホラーが苦手というか、あまり好きではない私。
表紙もなんだか怖い感じだし、大丈夫かなあと思いながら読み始めましたが、結論から言うと全然問題ありませんでした。
というのも、ミステリランキングにランクインしていることからわかることですが、ミステリとして楽しめたからです。
本作は「実話怪談集風の小説」というちょっと変わった体裁をとっています。
ミステリ作家の「私」が、自分のところに持ち込まれた怖い話を怪談として書き「小説新潮」に発表していきますが、最初は第三者として話を聞くだけだった怖い話が、徐々に作家自身の「体験」となっていくところが怖いところです。
第五話まで怪談が語られた後、最後に「書き下ろし」の最終話によって、全5話の怪談に隠されたつながりがあったことが指摘されます。
さらに、本作は実際に小説新潮に発表されており、語り手の「私」は明らかに作者自身のことであり、実際に作者のツイッターには作中に出てくる「ツイート」が投稿されているのです。
つまり、本作は小説の枠を超えて現実の雑誌やSNSまでも利用して巧妙に作り上げられた作品なのであり、その計算ずくの伏線の張り方や仕掛けの作り方は完全にミステリの技法によるものでした。
このことから、「怪談集」というよりはミステリとして読むべき作品なのだと思います。


実質的にミステリとはいっても、怪談としてまったく怖くないというわけでもありません。
ただ、個人的に何より怖いと感じたのは、作中で起こっている怪異そのものよりも、その裏にある人間の心理や感情でした。
特に第四話「助けてって言ったのに」のラスト、本作で探偵的な役割を演じるオカルトライターの榊さんが指摘する「あること」にはゾッとさせられました。
ある人物の行動が、悪意によるものではないのだけれど、悪意ではないからこそ、その裏にある歪んだ心理が、怖い。
怖い話を読んだときによくある感想ですが、結局は人間が一番怖い。
そう感じずにはいられない結末でした。
そして、本作の一番よくできているところは、読者に「自分もこの話にかかわってしまった」と思わせるところでしょう。
語り手の「私」がだんだん怪異にかかわっていく話だと思って読んでいると、ある時ふと気づくのです。
私もこの話を読んでしまったことで、「かかわってしまった」のではないかと。
これはなかなか背筋がぞくりとする体験でした。
上記のあらすじにある、「読み終えたとき、怪異はもはや、他人事ではない」というのは、なるほどそういうことだったのかと寒気を味わいながらも納得しました。


よく練られたミステリだという印象ですが、すべての謎が完全に解けるわけではなく、よくわからない部分が残るというのは怪談ならではでしょうか。
全部が論理的に説明されたら、それは怪談ではないのですよね。
ゾクッとくる怖さはあるけれど、そこまで怖すぎるということもなく、私としてはちょうどいい塩梅でした。
逆に怖い話好きの人には少々物足りないのかもしれません。
☆4つ。