tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

2020年5月の注目文庫化情報


5月になりました。
STAY HOME週間真っ只中ですが、思ったほど読書は進んでいません。
それでも積読はだいぶ減ってきましたが、書店も私が普段利用しているお店はどこも休業中で、オンラインショップで注文するしかありませんでした。
早く本屋さんでゆっくりお買い物を楽しめる日が戻ってくるように、今はもう少し我慢の時です。
本も新刊の刊行点数が減り、発売延期になっているものもあるようです。
上記の新刊情報についても、最新情報は出版社のウェブサイトでチェックしてくださいね。

『BUTTER』柚木麻子

BUTTER (新潮文庫 ゆ 14-3)

BUTTER (新潮文庫 ゆ 14-3)


男たちの財産を奪い、殺害した容疑で逮捕された梶井真奈子。若くも美しくもない彼女がなぜ―。週刊誌記者の町田里佳は親友の伶子の助言をもとに梶井の面会を取り付ける。フェミニストとマーガリンを嫌悪する梶井は、里佳にあることを命じる。その日以来、欲望に忠実な梶井の言動に触れるたび、里佳の内面も外見も変貌し、伶子や恋人の誠らの運命をも変えてゆく。各紙誌絶賛の社会派長編。

柚木さん、キレッキレだなぁ。
『ランチのアッコちゃん』の「アッコちゃん」シリーズのような少し軽めのOL小説とは対照的な、重厚で凄みを感じさせる社会派小説である本作に、思わずそんな感想を抱きました。
ミステリではないけれどミステリ的な展開もあり、最後までドキドキしながら読める作品です。


出会い系サイトで出会った複数の男性と同時進行で交際し、大金を自らに貢がせた挙句に彼らを殺害したという容疑で逮捕された梶井真奈子、通称・カジマナと、カジマナを取材し彼女の内面を探ろうとする週刊誌記者の町田里佳との、奇妙な交流を描いた作品です。
どこかで聞いたような話だな、と思うのは当然で、実際に起きた事件とその容疑者をモデルに書かれています。
とはいえ、その実際の事件の謎を解くとか容疑者の人物像を掘り下げるとか、そういったことがテーマだというわけではなく、主人公はあくまでも週刊誌記者の里佳であり、彼女の成長と親友である伶子との絆を描いた作品である、というのが正しい読み方でしょう。
里佳は伶子のアドバイスに従い、拘置所で面会したカジマナに勧められたとおりにバターから始まってさまざまな食材や料理を試していきます。
もともと仕事一筋で料理にも食べることそのものにも大して興味がなく、高校時代からのスレンダーで少年的な体型を維持していた里佳ですが、バターのおいしさに目覚め、おいしいものを作ったり食べたりすることを楽しむようになると、身体は当然のごとく太っていきます。
すると恋人や同僚から太ったことを指摘されるようになり、周りからの視線が変わって、不快感を感じるようになる里佳ですが、恋人への関心が薄れていく一方でカジマナに対してはどんどん入れ込んでいき、まるでカジマナに操られるかのように彼女の言葉通りの行動を実践していく里佳の危うさに、ハラハラしつつも強く引きつけられました。
ただの取材対象にそこまで入れ込んでしまうのはなぜなのか、と思わなくもないですが、太っていて美人でもないカジマナがなぜ次々に男性を虜にすることができたのか、それを理解するためには必要なプロセスだったのでしょう。
カジマナに影響されどんどん変わっていく里佳に危機感を覚えた伶子の行動に至っては里佳以上に突飛で、でも里佳へのゆるぎない友情と彼女自身の苦悩が読み取れ、これまた不思議な魅力を持った女性だなと思いました。
里佳、伶子、カジマナという、3人の女性それぞれの人生と個性が丁寧に描かれ、非常に読み応えがあります。


そして、もうひとつ私が特に強い関心を持ったのは、カジマナの事件を通して浮かび上がる、本作のジェンダー論としての側面でした。
先に書いたように、カジマナは容姿に恵まれた女性ではありません。
むしろ、「ブス」「デブ」などと揶揄されがちな外見の持ち主です。
それでも多くの男性が彼女に夢中になったのはなぜだったのか?
男性が抱える矛盾が、ひとつの理由なのでしょう。
カジマナのことを「デブ」と蔑みながら、その一方でその豊満で女性的な肉体に、性的な魅力を感じ、虜になったこと。
「家事しかできない能力の低い女」と見下しながら、その一方で自分では家事を何もせず、彼女の作る料理をただ受け身でおいしく食べ続けたこと。
里佳が自分でもやってみて気づくとおり、実は家事というのは高い能力を要求される仕事ですが、なぜか男性はそれを認めたがらない傾向があるのは否めません。
そうした男性が持つ女性観における矛盾やゆがみが、女性を生きにくくしている側面は確かにあるのです。
ですが、一方で女性も、男性のそうした側面を利用している面があるのではないか。
カジマナが男性の性犯罪者の身勝手な主張に迎合するような考え方をしているところに、私としては嫌悪感を覚えましたが、それでも男性と同じように女性を外見で判断するようなことが全く私にはないかというと、そんなことはないのです。
自分自身が男性が好む女性像に近づきたいという思いも、もちろんあります。
女性同士の付き合いや絆といったものに縁がなかったカジマナが、その代替として男性の歓心を買おうとしたことを、私を含めて他人が非難する権利はないのかもしれません。
結局、男も女も「こうあるべき」という男性観・女性観にとらわれている、という点ではあまり変わらないのかもしれないな、と、本作によって改めて気づかされました。


実際に起きた有名な事件をモチーフにしているという点に興味をかきたてられ、個人的に関心のある題材が詰まっていたこともあり、最後までページを繰る手が止められませんでした。
作中にたくさん登場する食べ物や料理の描写もとてもおいしそうで、食欲がかきたてられます。
食の描写がなんともいえず官能的なところにはドキドキしましたが、食欲と性欲というのは似ているというか、人間の根源的な欲求という点では同じなんだなと、妙に納得させられました。
濃厚なバターの風味が全編を通して漂っているような深いコクのある物語に、お腹も胸もいっぱいになりました。
☆5つ。

『巴里マカロンの謎』米澤穂信

巴里マカロンの謎 (創元推理文庫)

巴里マカロンの謎 (創元推理文庫)


「わたしたちはこれから、新しくオープンしたお店に行ってマカロンを食べます」その店のティー&マカロンセットで注文できるマカロンは三種類。しかし小佐内さんの皿には、あるはずのない四つめのマカロンが乗っていた。誰がなぜ四つめのマカロンを置いたのか?小鳩君は早速思考を巡らし始める…心穏やかで無害で易きに流れる小市民を目指す、あのふたりが帰ってきました!

春期限定いちごタルト事件』から始まる「小市民」シリーズの新作をずっと待ちわびていました。
前作『秋期限定栗きんとん事件』からなんと11年ぶりに刊行された本作は、シリーズ本編ではなく番外編的な位置づけ。
それでも決して本編と比べて読み応えが劣るなどということはなく、番外編だからといって読み心地が異なるわけでもなく、いつもの小鳩君&小佐内さんコンビが帰ってきたと素直に喜べる作品です。


恋愛関係でも依存関係でもないけれど、互恵関係にある小鳩君と小佐内さん。
本作は小市民を目指すふたりの「休日」がテーマとのことで、地元を離れたり、一緒に行動していなかったりしますが、だからこそ普段より積極的に謎解きをしているのが、ミステリ好きにとってはうれしいところです。
4つの短編が収録されていますが、中でも「伯林 (ベルリン) あげぱんの謎」には「読者への挑戦状」ととれる一文があって、ミステリ好きの血が騒ぐ一作でした。
新聞部の部員たち4人が4個のうち1つだけマスタードが入っているはずの揚げパンを食べたものの、誰もマスタード入りに当たったという人がいないという謎に小鳩君が挑みます。
冒頭からしっかり伏線が張られていて、小鳩君が論理的に可能性をひとつずつつぶして真実へと到達する展開にわくわくしました。
ついついストーリーを追うことだけに夢中になってしまってあまり謎解きに頭を使うことのないまま最後まで読んだのですが、オチもなかなか秀逸です。
謎解きというほどではなく少しだけ想像していたことがあったのですが、それがたまたまではあるものの当たっていて、なんだかうれしい気分になりました。
表題作「巴里マカロンの謎」も、小鳩君と小佐内さんが会話しながら推理を進めていく様子が、人気のパティスリー店内の甘いものに満たされた空間という舞台と相まって、幸せで楽しい気分で謎解きを味わえました。


もちろん、魅力はミステリの側面だけではありません。
米澤さんの作品にはダークというか、毒気のある物語が多く、本作はどちらかといえば毒気が弱めではあるものの、各作品に登場するスイーツの甘さとは対照的な苦みを含んだ展開が印象的です。
あくまでも高校生が主人公の日常の謎を扱うミステリなので、殺人事件のような明確な殺意や悪意はないものの、謎解きの果てに人間のちょっと嫌な部分が見えてきて、心がざらつくような感じがします。
それでも読後感が悪くないのは、その「嫌な部分」が誰もが持っている普遍的なものだからでしょう。
この人なんだか嫌だなと思っても、では自分は?と考えてみると自分にも同じような嫌な部分があり、それは小鳩君や小佐内さんにしても例外ではありません。
100%の善人などいないという当たり前のことを、このシリーズでは嫌味なくさらりと描いているのです。
それでも、結末が幸せな雰囲気だとやっぱりいい気分で読み終えられるのも事実。
最後に収録されている「花府 (フィレンツェ) シュークリームの謎」は、小鳩君と小佐内さんによる謎解きの結果、ある登場人物たちの人間関係が改善し前進し始めるという気持ちのよい展開に加えて、ラストシーンでの喜びに震える小佐内さんの姿に、こちらも幸せな気分になりました。


というわけで、ミステリ的には「伯林あげぱんの謎」、物語としては「花府シュークリームの謎」が本作の中での私のベスト作品でした。
登場するスイーツも全部おいしそうだし、謎解きも存分に味わえ、大きな声で「ごちそうさま」と言いたくなる1冊で、とても満足です。
本編の続編で完結編になるかもしれない『冬期限定〇〇事件 (未定)』は、11年も待たずにできれば早めに読みたいという気持ちが強くなりました。
☆4つ。




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