tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『罪の声』塩田武士

罪の声 (講談社文庫)

罪の声 (講談社文庫)


京都でテーラーを営む曽根俊也。自宅で見つけた古いカセットテープを再生すると、幼いころの自分の声が。それは日本を震撼させた脅迫事件に使われた男児の声と、まったく同じものだった。一方、大日新聞の記者、阿久津英士も、この未解決事件を追い始め―。圧倒的リアリティで衝撃の「真実」を捉えた傑作。

評判通りの作品でした。
実際に起こった事件を題材にしたミステリで、読み応えたっぷり。
とにかく先が気になってどんどん読まされ、ドキドキしたりハラハラしたり憤ったりした挙句、最後には泣かされました。
マイ年間ベストは確実と思える傑作です。


「実際に起こった事件」とは、あの昭和の未解決事件、グリコ・森永事件のことです。
事件当時、私は子どもでした。
青酸入りの菓子がまかれたことを受け、市販のお菓子の包装が開封されると跡が残るようなものに変更されたという記憶はあります。
ですが、細かい部分に関してはほとんどまったくと言っていいほど覚えていません。
ですから、本作で事実を忠実に再現して描かれている事件を、歴史の本を読んで過去に関する新しい知識を得るような感覚で読みました。
それで驚いたのは、この事件が想像以上に私にとって身近な場所で展開された事件だったのだということです。
京都や大阪など、よく知っている地名がたくさん出てきました。
そして、子ども向けのお菓子に毒を入れるということは、言い換えると子どもを標的にした事件でもあったということ。
まさにグリコや森永のお菓子をよく食べていた私が被害者になる可能性もなくはなかったのかと考えると、今さらながらぞっとしました。
私の両親を含め、当時子育て中だった親たちがどんなに不安な気持ちになったかと思うと、胸が痛みます。
作者の塩田さんも私と同世代で、当時関西に住む子どもでした。
だからこそグリコ・森永事件に関心を持ち、小説の題材にとろうと思われたのだと思います。


そんな未解決事件の謎が解き明かされていくのですが、もちろん事件の真相も動機も犯人の正体も作者の創作です。
それでも、これが本当に事件の真相なのだと言われても納得しそうなくらい、展開に無理がなく、リアリティがありました。
丁寧な描写で少しずつ浮かび上がってくる犯人たちは、いい意味で「くだらない」と思いました。
終盤にある人物が告白する、事件に関与した動機に至っては、馬鹿馬鹿しいと思えるほどの愚かさで、思わず呆れてしまいました。
普通のミステリなら、「芸術的な犯罪」だとか「犯人の美学」だとかを描いても特に問題はありません。
ですがこの作品は実際の事件を描いていて、現実に加害者と被害者が存在するというデリケートな面があります。
変に犯人やその手口を美化したり、同情の余地があるような描き方をしていないところに、大いに好感を持ちました。
いい具合に犯人を突き放して描く作者のバランス感覚が素晴らしいと思います。


ですが、本作の主眼は謎解きにあるわけではありません。
「罪の声」というタイトルが示すとおり、犯人による脅迫に利用された子どもの声、そしてその子どもはどうなったのか、という点こそ本作最大の読みどころです。
実際にグリコ・森永事件で子どもの声が脅迫に使われたわけですが、本作で描かれているとおり、脅迫文を読み上げた子どもがその意味を理解していたとは私も思いません。
おそらく、自分の声が何に使われるのかよくわからないまま、犯人に利用された。
その子どもは、加害者側にいながら同時に被害者でもあったわけです。
未曽有の大事件に大人の都合で巻き込まれた子どもたちが、その後どんな人生を歩んだか。
本作の主人公のひとり、曽根のように、自分が事件に関わったことを知らないまま平穏無事に大人になっているということも十分あり得ますが、事件によって人生を歪まされ、苦難と悲しみに満ちた日々を送っているという可能性も高いでしょう。
もうひとりの主人公である新聞記者の阿久津は、最初こそ事件の謎を解くために取材を続けますが、少しずつ真相が見えてくると、その目は被害者に向けられるように変わっていきます。
理不尽な形で事件に巻き込まれた被害者である子どもを救いたい、明るい希望の見える未来へ導きたいという阿久津の切なる思いは、まさに今もこの日本社会で存命しているかもしれない実在の被害者に向けられた、作者自身の祈りであり願いなのです。
そう気づいたとき、作者の優しさに心を打たれ、涙がにじみました。


事件に関する描写については怖いと感じる部分もたくさんありましたが、最後はすっきり気持ちよく読み終えられました。
丁寧に事件について調べ、細かく推理を構築していき、リアルなサスペンスミステリに仕立て上げた作者の力量に脱帽です。
☆5つ。