tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『精霊の木』上橋菜穂子

精霊の木 (新潮文庫)

精霊の木 (新潮文庫)


環境破壊のため、地球が滅亡し、人類は様々な星に移住した。シン少年が住むナイラ星は、人類が街を作り始めてから二百年を迎えようとしていた。そんなある日、従妹のリシアに、先住異星人ロシュナールの特殊能力が目覚める。そして、失われた<精霊の木>を求めて、異世界からこの地を目指す<黄昏の民>の存在を知った二人は、過去と現代に潜む謎の真相を追い求める。しかし、過去の歴史を闇に葬ろうとする組織が動き出す。シンとリシアの運命は──「守り人」シリーズ著者・上橋菜穂子のデビュー作が、三十年の時を経て文庫化!

「守り人」シリーズ、『獣の奏者』、『鹿の王』の上橋菜穂子さんのデビュー作です。
ベテランの域に入った作家さんのデビュー作がこのタイミングで文庫化というのはけっこう珍しいのではないでしょうか。
作家デビュー30周年を記念しての企画のようですが、おかげで上橋さんの作家としての原点に触れることができて、感謝しています。


あらすじを読んでびっくり、まさかのSF!?と思いましたが、どちらかというとファンタジー色のほうが強いところが上橋さんならではでしょうか。
環境破壊により滅亡した地球から、宇宙のあちこちの惑星へと移住した地球人たちの物語です。
なかなかスケールの大きな設定で、いくらでも話を広げようと思えば広げられそうですが、物語の舞台は「ナイラ星」という場所に限定され、そこに住む少年シンと、シンの従妹リシアを中心に話が進みます。
シンとリシアは実はナイラ星の先住民であるロシュナールと地球人との混血で、ある日リシアは自分の先祖の記憶を夢に見るという特殊能力に目覚め、そこからシンとリシアの冒険が始まります。
少年少女を主人公にした冒険ファンタジーというのは定番であり王道ですね。
はじめはちょっと頼りない印象のあるシンが、冒険を通じて成長するというのも王道の展開です。
独自の設定や用語もたくさん出てきますが、ストーリー展開自体はシンプルでわかりやすいので、すんなりと物語の世界に入っていけました。
現代よりかなり未来の設定のはずですが、そこまで文明が進んでいる感じがしないのは、パソコンもまだ普及せずスマホも存在しなかった30年前に書かれた作品だからでしょうか。
それでも面白いガジェットがあれこれと登場し、個人的には「完全睡眠装置 (パーフェクト・スリーパー)」に大いに興味を持ちました。
あまり作中で詳しい説明がされていないのですが、この装置をつけて寝ると夢を見ないようです。
夢も見ずにぐっすり眠れて疲れが取れるのであれば、ぜひ試してみたいと思いました。


ところが、未来であっても地球人のやっていることはあまり変わっていないようで、ナイラ星に移住した地球人の政府はロシュナールに関しての歴史の真実を隠蔽し、嘘の歴史を人々に信じこませていることが判明します。
このような歴史改変や歴史修正主義は「守り人」シリーズでも登場し、批判的に描かれていました。
デビュー作でもすでにそれをテーマに書いているというところに、上橋さんのゆるぎない信念と主義主張が感じられます。
ファンタジーの体裁をとっていても、本当に書きたいことは現実に存在する問題であり、上橋さんにとってのそれは歴史を権力者の都合のいいように歪めてしまうこと、なのですね。
あとがきで歴史を歪めて伝えていることの例としてアメリカの西部劇を挙げておられますが、これはオーストラリアの先住民研究をされている上橋さんらしいなと感じ、まだ研究の道へ進む前の上橋さんがこのような作品を書かれていたことに、ブレのない人だなという感想を持ちました。
また、ナイラ星の自然描写がとても美しくて、地球はすでに環境破壊によって滅亡したという設定との皮肉な対比が興味深いです。
決して高らかに環境保護を訴えている作品ではありませんが、裏テーマとして環境問題への意識喚起の意図が感じられ、児童文学としてはなかなか重めの硬派な作品だと思います。


文体にもストーリー展開にもさすがに若さがあり、最近の上橋さんとの作品とは印象が異なる部分もありましたが、根っこの部分は変わっていないということが感じられて、ファンとしてはうれしくなりました。
デビュー30年を迎えた記念に原点を振り返るというのはなかなかよい企画ではないでしょうか。
新作ももちろん楽しみですが、旧作を味わう喜びがあるというのも楽しくうれしいことです。
☆4つ。