tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『肉小説集』坂木司

肉小説集 (角川文庫)

肉小説集 (角川文庫)


凡庸を嫌い「上品」を好むデザイナーの僕。何もかも自分と正反対な婚約者には、さらに強烈な父親がいて―。(「アメリカ人の王様」)サークルで憧れの先輩と部屋で2人きり。「やりたいなら面白い話をして」と言われた俺は、祖父直伝のホラ話の数々を必死で始めるが…。(「魚のヒレ」)不器用でままならない人生の瞬間を、肉の部位とそれぞれの料理で彩った、妙味あふれる傑作短篇集。

肉、といってもいろいろな肉がありますが、表紙を見て分かるとおり、この短編集での「肉」は豚肉のことを指します。
肉=豚肉だなんて、坂木さんは絶対に関西人ではないな (関西では肉といえば牛肉ですから) と思っていたところ、あとがきで真っ先にそのことに触れられており、思ったとおり関東人だとのことでした。
坂木さんは覆面作家で、性別や年齢などプロフィールについては明かされていない部分が多いのですが、関東人であるということが分かって、ちょっと人物像のイメージが湧いた気がします。


豚肉がテーマの短編集だなんて、さぞかしおいしい豚肉料理が続々と登場するのだろうな、などと思いながら読み始めたのですが、その予想はあっさり裏切られました。
1話目の「武闘派の爪先」では沖縄料理の豚足が登場するのですが、この豚足の描写がいかにもまずそう。
というのも、語り手である主人公が豚足を好きではないからです。
別に豚足嫌いではない私も、読んでいるうちに豚足が嫌いになりそうなくらいのまずそうな描写だったのですが、それが意外と不快感はありません。
誰でもひとつくらいは苦手な食べ物があると思いますが、確かに苦手なものを食べる時ってこんな感じだな、と共感できるのです。
2話目の「アメリカ人の王様」では、薄味で上品な料理が好みの主人公が、婚約者のお父さんと一緒にトンカツを食べるのですが、私にはおいしそうに思えるトンカツも、濃いものや揚げ物が苦手な主人公にとっては苦痛でしかなく、その苦しみがありありと伝わってきます。
けれどもこれも全く不快なものではなく、展開の妙もあって最後には爽やかな気分になれるくらいです。
食べ物を題材にしていながら決しておいしそうなグルメ小説ではない、それでもどの話も気持ちよく読めるのは、全体的にたっぷりのユーモアで味付けされているからだと思います。
時にクスッと笑えるようなストーリー展開や言い回しが多くて、さらりと明るく読めました。


もうひとつ、この短編集の特徴は、各話の主人公があまりかっこよくないということでしょうか。
かっこよくないどころか、少々痛い感じの主人公も登場します。
やたら「上品」にこだわってなんだか「上品でない」人や物事を見下しているように見えるとか、思春期だから仕方ないとはいえ自意識過剰気味だとか、自分の老化を気にしすぎて委縮してしまっているとか。
でも、そんなかっこよくない主人公だからこそ、感情移入はしやすいと思います。
主人公が全員男性なので、女性である私はすべての面で共感するというわけにはいきませんでしたが、どの主人公も人間臭くて好感が持てました。
地の文が主人公の一人称で書かれているため、取り繕わない本音が垂れ流し状態なのも、それぞれの主人公たちがどういう人なのかが分かりやすくてよかったです。


さらにもうひとつ、坂木さんの作品としてはちょっと珍しいかもしれませんが (全くなかったとは言いませんが)、かなりエロティックな雰囲気の作品もあって、意外な感じと納得するような感じ、両方の感想を抱きました。
タイトルの「肉」は食べ物の肉という意味だけではなく、肉欲という意味もかけてあったのですね。
よくよく考えてみると、恋人が仲を深めていく過程において、一緒に食事をするという行為は外せないものです。
恋愛に積極的な人を「肉食系」と呼ぶような表現もありますね。
食欲も性欲もどちらも本能から来るものですから、相性がいいのも当然かもしれません。
そうなると、食べ物自体の描写も、誰かが何かを食べている描写も、妙にエロティックに感じられてきて、ドキドキしながら読みました。


読む前に想像していたようなグルメな作品ではありませんでしたが、いい意味で予想を裏切る楽しい作品集でした。
日常の謎ミステリのイメージが強い坂木さんですが、ずいぶん作風が広がってきたなと感じられて、なんだかうれしかったです。
☆4つ。
続編といっていいのか分かりませんが、今度は鶏肉をテーマにした『鶏小説集』が最近刊行されたようです。
鶏肉というとから揚げやチキン南蛮、チキンカレーなどかな?と想像が広がって、こちらも楽しみです。