tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『昨夜のカレー、明日のパン』木皿泉


7年前、25歳で死んでしまった一樹。遺された嫁・テツコと今も一緒に暮らす一樹の父・ギフが、テツコの恋人・岩井さんや一樹の幼馴染みなど、周囲の人物と関わりながらゆるゆるとその死を受け入れていく感動作。本屋大賞第二位&山本周五郎賞にもノミネートされた、人気夫婦脚本家による初の小説。書き下ろし短編「ひっつき虫」収録!

木皿泉さんは「すいか」などドラマの脚本家として有名な方です。
私も脚本家としてお名前だけは知っていたのですが、夫婦ユニットであることは本作を手に取って初めて知りました。
人気脚本家だけあって映像が頭に浮かぶような文章、そして心の奥深くにゆっくり染みてくるような物語。
素直にとても素敵な作品だなぁと思いました。


本書は、テツコという女性と、その義理の父親であるギフの2人が、テツコの夫でありギフの息子であった一樹が若くして亡くなった後も、ひとつ屋根の下で共に暮らす日々を描いた連作短編集です。
テツコとギフの視点だけではなく、テツコの現在の恋人をはじめ、一樹の幼なじみや従弟など、さまざまな関係者の視点からテツコとギフの人となりや生活の様子が伝わってきます。
ふたりの関係にはもちろん「家族」という言葉を当てはめるべきなのでしょうが、そう簡単に一つの言葉で表せられるものでもないように思えます。
義理の父と娘、というと近しいようでいてちょっとよそよそしい感じがしますが、血の繋がりがないがゆえの微妙な距離感を保ちながらも、「義理」という冷たい印象の言葉がそぐわない絆が、このふたりの間には確かに存在します。
それはやはり、一樹の存在が大きいのだろうということが、物語の端々から感じられます。
ふたりはいわば「戦友」なのでしょう。
一樹が病に倒れ、もう助からないと悟った時から、絶望も、悲しみも、寂しさも、一緒に味わってきたふたりです。
運命共同体のようなその関係が、たとえ第三者から見ると奇妙に見えても、本人たちにとってはかけがえのない、壊したくないものであるのも当然だと思えます。
経緯が経緯だけに切なくもありますが、あたたかく優しい絶妙な関係の描き方がとても心地よく感じられました。


この作品には文庫版書き下ろしも含めて9つの話が収められています。
その中で私が一番心を打たれたのは、「夕子」という物語でした。
タイトルになっている夕子とは、ギフの妻、つまり一樹の母親、テツコにとっては義母にあたる人の名前です。
夕子が年頃になり、OLとして会社で働きながら見合いをし、ギフと出会って結婚し一樹を産み、死を迎える直前までの物語が時系列に沿って描かれており、本書の他の話と比べても作中で流れる時間が一番長い話になっています。
夕子にはちょっとした特殊能力のようなものがあり、人の死を予知することができます。
と言っても明確に誰がいつ亡くなると分かるようなものではなく、ある日突然訳も分からず涙が止まらなくなることがあり、その後必ず誰かが死ぬというようなものなので、予知と言っても何かの役に立つわけではなく、ただただ泣くことしかできないという、想像するだに辛そうな能力です。
そんな苦しみを抱えた夕子にとって、ギフとの出会いと結婚は大きな救いになったのだろうと思います。
夕子が最愛の家族と共に暮らす家で、庭に立つ一本の銀杏の木を眺めながら最期の時を過ごすラストが、切ない場面であるはずなのに、とてもあたたかく感じられて、気持ちのよい読後感でした。
次点で好きな話は「パワースポット」でしょうか。
一樹の隣の家に住む幼なじみ・タカラが、一樹の死後、仕事に打ち込むうちに笑うことができなくなり、退職することになりますが、ギフやテツコとの交流を経て、緩やかに回復してゆく物語です。
本人も気づかないうちに傷ついていた心が少しずつ癒えていく過程と、希望に満ちたラストシーンに私の心も癒されるようでした。


この作品では、特に事件だとか劇的な何かとかは一切起こりません。
「今夜は昨夜のカレーを温めて食べよう、そうだ、明日の朝のパンを買って帰ろう」なんていう、誰もが当たり前のように過ごしている日常が続いていくだけ。
大切な人が死んでも、悲しみからなかなか抜け出せなくても、日々はただ流れていきます。
でも、生きるということは、そうやって何ということのない日常を積み重ねていくことなんだなと、実感するような作品でした。
こういう一見地味なストーリーの作品に強く心を揺さぶられることが増えたのは、年齢のせいなのでしょうか。
本棚の片隅にいつも収めておいて、生きるのが辛くなったり疲れたりしたら取り出してまた読みたい一冊です。
☆5つ。