tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『恋歌』朝井まかて

恋歌 (講談社文庫)

恋歌 (講談社文庫)


樋口一葉の師・中島歌子は、知られざる過去を抱えていた。幕末の江戸で商家の娘として育った歌子は、一途な恋を成就させ水戸の藩士に嫁ぐ。しかし、夫は尊王攘夷の急先鋒・天狗党の志士。やがて内乱が勃発すると、歌子ら妻子も逆賊として投獄される。幕末から明治へと駆け抜けた歌人を描く直木賞受賞作。

時代小説だと思って読み始めたら、歴史小説と呼んだ方が正しいような、幕末の水戸藩のことを史実に沿って描いた作品だったので、少し意表を突かれました。
私は普段歴史に関する本を読んだりテレビ番組を見たりすることがあまりないので知識も乏しく、詳しい人や関心が高い人はまた違った感想になるのかもしれませんが、私としてはこれまで知らなかったことを本書を通してたくさん知ることができ、有意義だと思える読書になりました。


まず、樋口一葉の師匠であるという中島歌子という人物のことも初めて知りました。
もちろんどんな偉人にも「師」と呼ぶべき存在がいるのだろうとは思いますが、ちゃんと歴史の片隅に名を残して、それなりに史料も残っている人なのですね。
そして、その人生の壮絶さを知って胸を打たれました。
いえ、何しろ幕末の動乱期、おそらく日本という国が一番大きな変化を遂げた時期なのですから、中島歌子だけが特別だったわけではなく、時代の荒波に揉まれて苦難の人生を送らなければならなかった人はたくさんいたのだろうと思います。


歌子は江戸の宿屋の娘として生まれますが、水戸藩士・林忠左衛門以徳(もちのり)に一目惚れし、母親の反対にもめげずその想いを貫きます。
「恋歌」というタイトルなのだから歌子と以徳の恋愛を描く作品なのかと思いきや、話としては一途な恋が実ってめでたく結婚してからが本番。
尊王攘夷を掲げる水戸の志士である以徳は、やがて水戸藩内部の争いごとに巻き込まれていきます。
歌子も敵対する勢力に捕らえられ、牢獄の中で過酷な日々を送ることに。
雅な印象さえ受けるタイトルとは裏腹に、背筋が寒くなるような恐ろしい場面も登場する物語後半は圧巻です。
ひとりの女性の恋を描いた作品であることに間違いはありませんが、甘ったるさのない、容赦のない厳しい運命に圧倒されました。


もちろん、その厳しさは時代の混乱から来るものです。
歌子と以徳が身を投じることになる戦いは、規模こそ大きくはないかもしれませんが、内戦と言ってもいいのではないかと思えます。
戦争になれば、兵士のみならず、民間人にも少なくない犠牲が出ます。
幕末期の日本で、一体どれだけの人たちが時代の混乱の中でその貴い命を捨てなければならなかったのか。
そのことに思いを馳せると気が遠くなりそうです。
改めて、この国が近代化の過程にどれほどの犠牲を出し、その犠牲の上に今の日本があるのかということを、考えずにはいられませんでした。
そして、生まれた時代によって人生が変わってしまう理不尽をも思わずにはいられません。
歌子はせっかく想いを成就させて好きな人と一緒になれたのに、その人と共に暮らせたのはほんのわずかな日々でした。
彼女が生まれてきたのが幕末でなかったら――、好きになった相手が水戸藩士でなかったら――、もっと幸せになれたかもしれなかったのに。
そう思うと胸がぎゅっとしますが、それは考えても仕方のないことだというのも、また事実です。
人は生まれてくる時代も場所も選べない。
ただ自分に与えられた運命を受け入れ、生まれた時代や場所で精一杯生きるしかないのだと、歌子の生き様が教えてくれるような気がしました。


作中に引用される短歌の数々が、物語をいっそう味わい深いものにしています。
百人一首でもおなじみの「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」は特に印象的でした。
岩にせき止められて2つに分かれた川の流れが下流でまた1つの流れになるように、あの人と離れ離れになってもいつかきっと再会する――。
歌子の以徳への想いと情熱そのままのような歌が心に沁みました。
これからこの歌をどこかで目にするたびに、この作品のことを、中島歌子という人のことを思い出すのだろうなと思います。
大河ドラマの題材としてもよさそうな作品だなと思いました。
☆4つ。