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tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『氷点』三浦綾子

氷点(上) (角川文庫)

氷点(上) (角川文庫)

氷点(下) (角川文庫)

氷点(下) (角川文庫)


辻口病院長夫人・夏枝が青年医師・村井と逢い引きしている間に、3歳の娘ルリ子は殺害された。「汝の敵を愛せよ」という聖書の教えと妻への復讐心から、辻口は極秘に犯人の娘・陽子を養子に迎える。何も知らない夏枝と長男・徹に愛され、すくすくと育つ陽子。やがて、辻口の行いに気づくことになった夏枝は、激しい憎しみと苦しさから、陽子の喉に手をかけた―。愛と罪と赦しをテーマにした著者の代表作であるロングセラー。

三浦綾子さんの作品は、高校1年の時に『塩狩峠』を読んで衝撃を受けたのを機に、何冊か読みました。
ところがなぜか代表作の『氷点』はずっと未読だったのです。
塩狩峠』はその後も折に触れて何度も読み返すぐらい、私にとって大事な1冊なのですが…。
家族にも「今頃『氷点』読んでるの?」と言われましたが、全くその通りで、なぜ今まで読まずに来たのか自分でも不思議です。
まあ、この作品に限らず「いまだに読んでいない名作」はまだまだたくさんあるのですが。


塩狩峠』のテーマが「自己犠牲」なら、『氷点』のテーマは「原罪」です。
どちらもキリスト教においてはとても大切な教義であるということは、少しでもキリスト教に触れたことがある人ならよくご存知だと思います。
ただ、「自己犠牲」は比較的日本人にも分かりやすく理解しやすい教えだと思いますが、「原罪」はなかなか深いところまで理解するのは難しいのではないでしょうか。
この作品は、そんな「原罪」について、アダムとイブが禁断の果実を食べてどうこう…という聖書のエピソードを用いることなく、その本質を分かりやすく教えてくれます。


本作において繰り返し執拗に描かれるのは、登場人物たちの持つ負の感情。
憎しみ、嫉妬、身勝手さ…。
人間とはこんなに醜く陰惨なものを抱えた生き物なのか、とあきれてしまうほどです。
立派な医院を経営し、自らも医師として優秀な辻口啓造。
いつまでも若々しさを失わない美貌の妻・夏枝と、仲の良い兄妹である徹とルリ子。
申し分のない家族のはずが、ルリ子が殺されたことをきっかけに、運命が狂い始めます。
いえ、ルリ子を失う前から、辻口家の歯車はすでに狂い始めていたのかもしれません。
夏枝は夫がある身でありながら、自分に心を寄せている眼科医の村井に惹かれていたのですから。


啓造の留守中、夏枝が村井を自宅に上がらせている間に、ルリ子は殺されてしまいます。
村井への嫉妬と夏枝への憎しみから、啓造はルリ子を殺した犯人の子を引き取って夏枝に育てさせることにします。
座右の銘である「汝の敵を愛せよ」という言葉を実行するため、と表向き言ってはいますが、自分を裏切った夏枝を苦しめたい、苦しむ夏枝を見たい、という気持ちの方が強いようにしか思えません。
引き取った子・陽子をどうしても愛せず、冷たい態度をとり続ける啓造です。
普通に考えると、自分の娘を殺した人間の子を養子にするということ自体がありえない選択だと思いますが、よほど夏枝への憎しみが深かったのでしょうか。
その後も夏枝をゆるすどころか何度も憎いという感情がよみがえっていて、なんと嫉妬深い人なのかと思わざるを得ません。
夏枝は夏枝で、村井への浮気もそうですが、自分の美貌に自信があるがゆえか、いつも男性の歓心を買っていないと気が済まないようなところがあります。
それゆえに、美しく聡明な少女に成長していく陽子までもが、夏枝の嫉妬の対象となります。
そしてまるで一昔前の少女マンガに出てくる悪役かのような、意地の悪い嫌がらせを陽子に対して行うのです。


もちろん幼い愛娘のルリ子を殺された悲しみ、悔しさは理解できます。
妻に裏切られた啓造の怒りも、その啓造の憎しみを犯人の子を育てさせられるという形でぶつけられた夏枝の苦しみも、もっともなものだと思います。
本来、この夫婦はそれほど悪人というわけではありません。
それでもさまざまなできごとをきっかけに、憎しみや妬みを募らせた挙句、悪意ある言動をとってしまう。
それは一歩間違えば犯罪にもつながりかねないものです。
実際、夏枝は陽子がルリ子殺しの犯人の子と知った時に、陽子の首を絞めようとしているのですから。
これこそ、人間が生まれながらにして持つ「罪深さ」なのではないでしょうか。
どんな人間でも、善と悪の両面を持ち合わせているものなのだと思います。
犯罪者とそうでない人との違いも、単に悪の面が表に出るか出ないかだけの差なのかもしれない。
そう考えるとぞっとしますが、だからこそ人間はお互いに寛容になって、ゆるし合わなければならないのかもしれません。
また、自分の中にある「罪」に最初に気付き向き合うのが、啓造と夏枝の悪意の犠牲者である陽子であるというのがなんとも皮肉だなぁと思いました。


終盤の怒涛の展開には意外性もあり、読み応え十分でした。
やはりもう少し若いうちに読んでおけばよかったかもしれないとは思ったものの、名作はいつ読んでも名作であることに変わりはありません。
『続・氷点』もできるだけ早いうちに読みたいと思います。
☆5つ。