tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『硝子の葦』桜木紫乃

硝子の葦 (新潮文庫)

硝子の葦 (新潮文庫)


道東・釧路で『ホテルローヤル』を営む幸田喜一郎が事故で意識不明の重体となった。年の離れた夫を看病する妻・節子の平穏な日常にも亀裂が入り、闇が溢れ出した――。愛人関係にある澤木と一緒に彼女は、家出した夫の一人娘を探し始めた。短歌仲間の家庭に潜む秘密、その娘の誘拐事件、長らく夫の愛人だった母の失踪……。次々と謎が節子を襲う。驚愕の結末を迎える傑作ミステリー。

桜木紫乃さんの作品を読むのはこれで2作目ですが、なんだか癖になりそうな作風ですね。
『ラブレス』同様、女の生きざまを淡々と描いていながら、強烈な印象を残す作品です。


ラブホテル「ホテルローヤル」の経営者・幸田喜一郎と、その妻・節子。
喜一郎が交通事故で意識不明となり、そこから節子の日常が狂い始めます。
税理士の澤木、短歌会仲間の倫子、倫子の娘・まゆみ、実母の律子、喜一郎とその前妻との間の娘――様々な人間関係の中で、節子の運命は思わぬ方向へ転がっていきます。


『ラブレス』で描かれた女たちの人生もかなり波乱万丈でしたが、この作品の主人公・節子の人生もなかなかドラマティックです。
日常のささやかな喜びを味わいながら、落ち着いた生活を送る、地味でも幸せな人生。
そういうのからは程遠い、ひとところに留まってはおれないような、そんな生き方しかできない女たちの描き方が、本当に巧い作家さんだなと感心します。
節子という人物の描き方がなんとも印象的ですね。
作中に心情がしっかり描かれているにもかかわらず、どこかつかみどころのない印象を受けます。
母の律子に幼い頃虐待を受けていて、律子の愛人だった喜一郎と結婚したのは律子への当てつけなのかと思いきやそういうわけでもなさそうで、自らも喜一郎と結婚生活を送りながらその一方で税理士の澤木とも関係を持ち続けている。
夫のおかげでお金に困ることはなさそうだし、長い付き合いの愛人もいて、はたから見たら「リア充」ともとれそうですが、そのわりに孤独で空虚な印象が強いのです。
人生を自分の力で切り開くような力強さもなく、流されるまま生きてきたような感じもします。
しかも、さらさらと音を立てて流れるそれは、決して水じゃない。
作中で節子自身が夢に見る通り、砂なのです。
水ではないから決して潤うことなく、乾いたまま流れていく、そんな人生。
読んでいてどうにもやるせない気持ちになりました。


もう一人印象的な女性登場人物が、節子の短歌会仲間である倫子。
節子とはまた違ったタイプの「流されてきた」女性ではないかと思います。
倫子がその笑顔の裏に抱える事情は、やがて節子をある事件に巻き込んでいくのですが、節子をうまく利用しているようにも見えて、でもそれほど器用ではなくただ単に目の前にいた節子を巻き込むしかなかっただけではないかとも思えます。
これまたなんともつかみどころのない女性なのですね。
女というのは裏にいくつもの顔を隠し持っていて、それをうかつに外に出さない生き物なのかもしれません。
対して男性陣はというと、飄々としていた喜一郎も、翻弄される澤木も、お金にも女性にも不自由していないにもかかわらずやはり満たされている感じはしなくて、空虚で孤独な印象は女性たちと同じです。
そして登場人物たちが抱えている空虚さが、道東の港町のうら寂しい情景と重なって、とても冷たく静かな空気が本文から流れてくるような感じがしました。
サスペンスとして申し分のない雰囲気作りが本当に素晴らしい作品だと思います。


共感できるような作品ではありませんが、共感できないからこそ強い印象の残る作品でした。
帯にある「大どんでん返し 驚愕の結末」というのはちょっと違うなぁと思いましたが、ラストシーンの余韻も深く、また桜木さんの作品を読みたいという気にさせられました。
☆4つ。