tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『マドンナ・ヴェルデ』海堂尊

マドンナ・ヴェルデ (新潮文庫)

マドンナ・ヴェルデ (新潮文庫)


美貌の産婦人科医・曾根崎理恵、人呼んで冷徹な魔女(クール・ウィッチ)。彼女は母に問うた。ママ、私の子どもを産んでくれない――? 日本では許されぬ代理出産に悩む、母・山咲みどり。これは誰の子どもか。私が産むのは、子か、孫か。やがて明らかになる魔女の嘘は、母娘の関係をも変化させ……。『ジーン・ワルツ』では語られなかった、もう一つの物語。新世紀のメディカル・エンターテインメント第2弾。

代理出産」をテーマにした『ジーン・ワルツ』の続編。
いや、続編というのはちょっと違うかな。
『ジーン・ワルツ』は自分の母・みどりに代理出産を依頼する娘・理恵の視点から描かれていましたが、この『マドンナ・ヴェルデ』は娘の理恵から代理出産を依頼された母・みどりの視点で描かれています。


帝華大学病院で忙しく働く産婦人科医である娘の理恵が久しぶりに実家へ帰ってきたと思ったら、理恵は母であるみどりに対して驚くべき依頼をしてきます。
自分は子宮が奇形のため、妊娠を維持することができない。
だからママに代理母として私の子どもを産んでほしい、と。
戸惑いながらも、みどりは娘のために代理出産を引き受けます。
けれども、理恵は医師としては優秀でも、母親としては何かが欠けているような気がして、みどりは次第に思い悩むようになります。
理恵の身勝手な行動もあり、娘のために黙って彼女に従っていたみどりは、やがて理恵に反発するようになり…。


『ジーン・ワルツ』とは逆に代理母を引き受けた側の視点が描かれることにより、『ジーン・ワルツ』ではよく分からなかった部分がはっきりし、それによって代理出産という日本ではまだ認められていない医療の難しい部分もはっきりしたように思います。
代理母であるみどりが子宮の中に預かる受精卵は、理恵とその夫の伸一郎のもの。
だから医学的には理恵が子どもの母親ということになります。
これは非常にはっきりしていて分かりやすいですね。
では、代理母は?
受精卵を子宮に宿し、10か月もの長い時間をかけて胎内で育てる代理母は、どのような立場になるのか。
日本では「出産した女性を母親とする」という指針が出されました。
なんだか変だぞ、とは作中の理恵の説明を読んでも明らかです。
では、卵子を提供した女性を母親とすることにした場合は?と考えてみると、これもなんだかすっきりしないような気がするのです。
理恵とみどりの場合は、卵子が理恵のものだからまだ問題はないですが、子宮を他人から借りるだけでなく、卵子も他人から提供を受ける必要がある女性もいるでしょう。
その場合はどうなるのか。


望んでも子どもを得られない女性の問題を、今の医療は代理出産や卵子提供(精子提供)という手段で解決が可能である、それならば一人でも多くの女性が母になれるように、代理出産を認めていくべきだ――その主張は理解できます。
現在の法律が、最新の医療技術に対応できていないのも事実です。
論理は分かるけれど、なんとなく感情が反発してしまう。
それは私が独身で、赤ちゃんを期待される立場にないからなのでしょうか。
子どもが欲しいという切実な願いは理解できるつもりです。
自分がお腹を痛めて産んでこそ母親、などという考えもありません。
だけれども、もし自分が結婚して、不妊症だと分かったとして、代理出産を依頼するという手段を示されたとしても、私はその手段は選ばない気がする。
それは、作中でみどりが思い悩むように、代理母という複雑な立場は論理や理屈で解決できるものではないように思うからです。
とは言っても、何事も選択肢は多い方がいいとは思いますし、不妊症の女性の苦しみが取り払われるなら、それは素晴らしいことだとも思います。
きっと、社会全体で議論を尽くして、代理出産に対してどのように向き合っていくのか、法律の問題はどうするべきなのか、しっかり決めて行かなければならないのだろうなと思います。
女性だけでなく、男性の意見もしっかり取り入れて。
何よりも忘れてはならないのは、どんな手段で生まれてこようと、子どもにその責任はなく、したがって扱いに有利不利があってはならないということだと思いました。


クールすぎて身勝手で残酷なようにすら見える理恵と、母としての深い愛情を見せるみどりとの対比がとても印象的でした。
主人公が医療関係者ではない、普通のひとりの主婦であるということが他の海堂作品とは違っていて、新鮮味もありました。
代理出産のことだけでなく、母と子の関係について深く考えることのできる良作です。
☆4つ。
…それにしても、閉経後の女性の子宮に他人の受精卵を入れて出産させるなんて、最初にそんなことを考えついた人は一体誰なんでしょうか。
そんなことを可能にした医療技術よりも、その発想そのものが、私には驚きです。