tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『小さいおうち』中島京子

小さいおうち (文春文庫)

小さいおうち (文春文庫)


昭和初期、女中奉公にでた少女タキは赤い屋根のモダンな家と若く美しい奥様を心から慕う。だが平穏な日々にやがて密かに“恋愛事件”の気配が漂いだす一方、戦争の影もまた刻々と迫りきて―。晩年のタキが記憶を綴ったノートが意外な形で現代へと継がれてゆく最終章が深い余韻を残す傑作。著者と船曳由美の対談を巻末収録。

珍しく立て続けの更新。
というのも年始早々体調を崩し、外出ができなかったので読書が進んだせいです。
幸先悪い新年のスタートと思っていたけど、読書生活のスタートとしては悪くなかったかな?


さて、中島京子さんの作品は読んだことがなかったのですが、直木賞受賞作であるということと、あらすじに惹かれたのとで手に取ってみました。
昭和初期の、戦争が始まるまでの時期の話がけっこう好きなのです。
戦時中とは違う好景気の明るい時代の物語は読んでいて楽しいですし、自分が知らない時代のことは興味深いからです。
もちろん、その後やってくる戦争の足音には、悲しく辛い気分になることも多いのですが…。
この作品では、13歳で故郷の山形から女中奉公に出されたタキという一人の少女が、平井家の奥様・時子に仕えた日々のことが、晩年を迎えたタキ自身の目線で語られます。
平井家は女中を雇うくらいですから、サラリーマン家庭とはいえ裕福な家庭です。
旦那様は玩具会社に勤めていて、時流に乗ってブリキ製の戦闘機や船などの玩具の製造と輸出で大成功を収め、時子奥様は若くして常務夫人になります。
そして坂の上に小さいながらセンスの良い赤い洋風屋根の一軒家を建て、タキはそこで女中として働くことになります。


期待通り、昭和初期の東京に暮らす上流家庭の、モダンでハイカラな暮らしぶりが女中目線で丁寧に描かれていて、その時代の空気感が伝わってくるかのようでした。
歴史の教科書や歴史に関する本などを読むと、この時期は戦争への道筋が着々と作られていっている時期で、その後の日本がどのような道をたどったかを知っている私たち後世の人間にとっては、決していい時代ではなかったように思えます。
けれどもこの作品でタキが語る「戦前」は、とても明るくて賑やかで楽しそうなのです。
それが不思議なことのように思え、実際作中の「現代」のパートでタキの甥の二男である健史(たけし)は、当時のことを楽しい思い出として振り返るタキに対し「能天気すぎる」と言っています。
けれども、実際にその時代に生きていた人にとっては、人それぞれの時代の感じ方があったのだろうと思います。
歴史的なできごとだけを見れば確かに暗黒へと向かっていった時期であったのですが、それは「歴史」として当時のできごとを俯瞰して見ることができる人間だからこその見方。
もちろん当時も軍部や政治の中心に近いところにいた人々の中には暗黒を感じ取っていた人もいたのでしょうが、一般市民には当時都合の悪い情報は伏せられていたわけですし、景気はよく、まだ食糧も豊富にあり、南京陥落など戦況は上々で、特に東京は関東大震災からの復興を遂げてオリンピックの開催も決まり、お祝いムードにあふれていたのですから、暗い雰囲気など感じていなくても当然です。
そして忘れてはいけないのは、こうした側面も、間違いなく日本の歴史の一部なんだということなのだと思います。
ただ歴史上重要なできごとをたどるだけでは決して分からない、普通の日本人が見た当時の日本のありのままの姿がこの作品には描かれていて、それこそが意味のあることだと思うのです。


けれどもやっぱりその後の展開として開戦を迎え、悲しいできごとが起こることも避けようがなくて、とても明るく楽しい雰囲気だった物語にも、切なく悲しい風が吹きます。
そしてそれはタキが女中奉公の中で見守ってきた、時子奥様の秘めた恋物語の終焉とも重なっていて、余計に切ない気持ちにさせられます。
最終章では意外な事実が明らかになって少し驚きましたが、いくつかの謎が残ったまま物語が終わったのがよかったと思います。
タキは何度か奥様の恋物語に関して、自身の「後悔」を口にしていますが、この後悔の本当の理由が何であったのか、いろいろと想像していると、最晩年になって当時のことを思い出して泣いていたタキの姿や、戦争によって大きく変えられてしまった東京の姿や人々の運命が目に浮かんできて、何とも切なくて泣けてきました。
秘められた恋は、秘められたままに。
全てを明らかにすることだけが、スッキリする結末だというわけではないんだなと、ハッとさせられる思いでした。


自分が好きなタイプの話だからというのもありましたが、最初から最後までとても楽しく読めました。
今から50年くらい経って、今という時代を振り返ってみたら、どんなふうに見えるのかなと想像してみたりもしました。
昭和初期という激動の時代を、明るい筆致で描いていて素敵な作品でした。
☆5つ。