tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『獣の奏者 III・探求編/IV・完結編』上橋菜穂子

獣の奏者 3探求編 (講談社文庫)

獣の奏者 3探求編 (講談社文庫)


獣の奏者 4完結編 (講談社文庫)

獣の奏者 4完結編 (講談社文庫)


愛する者と結ばれ、母となったエリン。ある村で起きた闘蛇の大量死の原因究明を命じられ、行き当たったのは、かつて母を死に追いやった禁忌の真相だった。夫と息子との未来のため、多くの命を救うため、エリンは歴史に秘められた真実を求めて、過去の大災厄を生き延びた人々が今も住むという遥かな谷を目指すが……。

獣の奏者』は最初の2巻だけでも十分に完結していると言える作品ですが、こうして後から続編が付け足されることによって、物語にさらに奥行きが生まれ、世界が広がりました。
今度こそ完全に物語が終結したことはさみしくもありますが、エリンの波乱の生きざまを見届けることができて本当に良かったと思います。


前作の感動のラストシーンから時は過ぎ、エリンはなんと結婚して母になっています。
旦那さんが誰なのか、という点がしばらく伏せられているのが心憎いですね。
あの人なんだろうな、と予測はつきますが、その予測が正しかったと分かった瞬間はやはりうれしかったです。
でも、今回の完結編においてキーパーソンとなるのは、エリンよりもその旦那さんよりも、エリンの息子のジェシであると言えるのではないかと思います。
わんぱくで、生意気で、利かん気の強いジェシ
両親や周りの大人たちに対して反発したり、小生意気な口をきいたりもしますが、その少年らしいわがままさは、下手をすると暗く重苦しいばかりになってしまいそうなこの物語においては救いであるように思えました。
世界の情勢はめまぐるしく移り変わり、不穏な空気が漂い始め、戦の足音が聞こえてくる中で、ジェシの無邪気で無謀な言動にクスリとしたり、ハラハラしたりしました。
そんなジェシに対するエリンの姿が、前作のエリンには当然ながらなかった「母」としての側面を浮かび上がらせているのも新鮮に感じました。
結婚してジェシが生まれたからこそのエリンの生き方や考え方が、王獣を操る者としての彼女のあり方にも変化を与え、それがやがて世界の運命をも変えていくという壮大なドラマに胸を打たれました。


この作品はファンタジーであり、作者が創造した世界を舞台にしています。
けれども、そこで語られる物語は、人間の生き方や国のあり方、人間と他の生物との関わり方など、この現実の世界に共通するものを描いています。
そのため、自分自身や自分の生きているこの世界に、物語として描かれていることを当てはめて考える場面が幾度もありました。
たとえば、王獣や闘蛇について詳しいことは何一つ伝わっておらず、ただ王獣と闘蛇を戦わせると「災い」が起こるということだけが言い伝えられているということ。
エリンはそれを間違いだと考え、正しい知識をありのままに後世に伝えるためにも、自ら掟を破って王獣を繁殖させ、戦いに使うべく訓練をすることを選びます。
知識がタブーとして隠蔽されるということには、知識がなければ災いを繰り返さずに済むのではないかという淡い期待と、教育を受けて知識を身につけた者が増えることによって王をはじめとする権力者の権威が脅かされるのではないかという懸念との、2つの意味合いがあります。
こうしたことは現実の世界でも、これまでの歴史の中で多々あったことだと思います。
たびたび国と国との間で歴史認識について齟齬が生じ、それが紛争に結びついたりするのは、各国の時の権力者が自らの都合の良いように、事実や知識を歪めたり隠蔽したりするためでしょう。
人は争いをやめられない生き物という事実が変えられないのならば、先人の反省を活かすためにありのままの事実と知識をひとりひとりに着実に伝えていけば、少なくとも最悪の事態は避けられるのではないか…。
そういうエリンの考え方に、共感しました。


この物語が迎えた結末を読んで、「獣の奏者」というタイトルにある「獣」とは、もちろん王獣や闘蛇のことも指しているのでしょうが、実は何よりも「人間」のことだったのではないかと思いました。
人という名の獣こそ、もっとも操り難く、一つにまとめることなどできないもの。
それでもエリンは命を賭して真実を見出すことによって、ほんの少しだけ、人間の運命を変えることに成功した。
その姿こそが、真の意味での「獣の奏者」だったのだなぁと感じた完結編でした。
☆5つ。