tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『おそろし 三島屋変調百物語事始』宮部みゆき


17歳のおちかは、ある事件を境に、ぴたりと他人に心を閉ざした。ふさぎ込む日々を、叔父夫婦が江戸で営む袋物屋「三島屋」に身を寄せ、黙々と働くことでやり過ごしている。ある日、叔父の伊兵衛はおちかに、これから訪ねてくるという客の応対を任せると告げ、出かけてしまう。客と会ったおちかは、次第にその話に引き込まれていき、いつしか次々に訪れる客のふしぎ話は、おちかの心を溶かし始める。三島屋百物語、ここに開幕。

時代物は苦手なんて言っていた頃が懐かしいほど、もうすっかり時代物の面白さが分かるようになりました。
それはすべて宮部さんのおかげ。
読みやすい文章と、宮部節ともいえる切なくも心温まる物語に、現代ものと同じように引き込まれます。


ある大きな旅籠の娘である17歳のおちかは、自らの身に起こったある事件により深く傷ついた心を抱え、伯父夫婦が営む袋物屋「三島屋」に身を寄せて、奉公人として働くようになります。
そんなおちかに叔父が突然命じた変わった「仕事」、それは、三島屋を訪れる客人が語る不可思議な話の聞き役となることでした。
叔父の意図が分からないままにその「仕事」を始めたおちかですが、やってくる客人たちが語るのは、おそろしくて、悲しくて、切ない物語で、おちかの傷ついた心にすっと入り込んでくるのでした…。


宮部さんの時代物には怪談めいたちょっと怖い話が絡んでいることが多いですね。
この作品はその怪談がメイン。
とはいえ、実のところあまり怖くはありません。
いえ、起こった出来事の状況を想像するとかなり怖いのですが、さほど読者を怖がらせる書き方をしていないというべきでしょうか。
それは、話の聞き手であるおちかが、怪談としてというよりも、彼女自身の身に起こったある事件で傷ついた心に寄り添う話としてそれらを聞いているからなのでしょう。
奇怪な現象が起きたり、死んだはずの人の姿が現れたり、と、話自体は怪談そのものなのですが、幽霊の話でありながら、実のところは生きている人間が主役の話であるという点も、怪談としての怖さを薄めています。
おちかに語って聞かされる話すべてに共通するのは、人間たちがみな、悪意はなかったけれども、過ちを犯してしまったということです。
人が人を殺める話や、道徳に背く話も出てきますが、それらの罪を犯す人間は、決して悪意はなかったのです。
悪意はないのだけれど、考えが足りなかったり、欲や慢心があったために間違いを犯してしまった。
誰にでも長い人生の中で一度や二度は起こりうることです。
そして、その間違いがむごい結果を生み、浮かばれぬ亡者を生み出してしまった…。
怖いのは亡者そのものではなく、生きた人間が自らも気づかぬうちに間違いを犯してしまうという事実なのです。


ですから、おちかはいくつかの話を聞くうちに、間違いを犯したのは自分だけではないと気づき、少しずつ傷ついた心が癒されていくのです。
怪談セラピーとでもいうのでしょうか、なんとも不思議ですが、宮部さんらしいアイディアであるように思いました。
三島屋の叔父夫婦をはじめ、おちかの周りの人々がみな人情味あふれるまじめな働き者というのも宮部さんらしい設定ですね。
人間の心が生み出す怖さを描いているものの、本当に嫌な人間というのがあまり出てこないので、怪談なのにとても気持ちよく読め、自分もおちか同様にいつしか客人たちの不思議な話に引き込まれていくのを感じました。
個人的には幽霊話も苦手ではないので、もう少しぞっとさせてくれてもよかったかなと思いますが、優しい雰囲気で少し変わった怪談ものであるこの作品は、「変調百物語」というタイトルがまさにぴったりだと思います。


ラストが個人的にはあまりしっくり来なくて、そこは少し残念だったのですが、おちかに新しい恋がやってくる気配もあり、続編もぜひ読みたいと思いました。
「百物語」というくらいですから百話目指して書き続けていただきたいものです。
宮部さんの新たなライフワークの誕生に乾杯!
☆4つ。