tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『ラン』森絵都

ラン (角川文庫)

ラン (角川文庫)


9年前、家族を事故で失った環は、大学を中退し孤独な日々を送っていた。ある日、仲良くなった紺野さんからもらった自転車に導かれ、異世界に紛れ込んでしまう。そこには亡くなったはずの一家が暮らしていた。やがて事情により自転車を手放すことになった環は、家族に会いたい一心で“あちらの世界”までの道のりを自らの足で走り抜く決意をするが…。哀しみを乗り越え懸命に生きる姿を丁寧に描いた、感涙の青春ストーリー。

森絵都さんが描くマラソンストーリー。
さすがは(?)森さん、熱血青春スポ根ものとは一味違います。


父と母、弟を事故で失い、その後世話になった叔母をも亡くした環。
人と交わることが苦手で、大学も中退し、スーパーの通販部で孤独なアルバイトをしている22歳の彼女は、自転車屋の主人・紺野さんと仲良くなります。
実家のある山形へ帰ることになった紺野さんが別れの際に環にプレゼントしてくれたのは、紺野さんが亡くした息子のために組み立てた特別なロードバイクでした。
「モナミ1号」と名付けられたその自転車は、ある日環を「冥界」へと導きます。
そこで両親や弟、叔母と再会した環でしたが、自転車に導かれるのではなく、自力でこちらへ来てみろと叔母に発破をかけられます。
自力で冥界にたどり着くには、40キロを休まず走り続けることが必要でした。
環は家族や叔母に会うために、40キロ走れるようになることを目指して練習を始めますが…。


マラソン小説だと思って読み始めたら、いきなり環の重い身の上話が語られ、自転車に乗って冥界へ行ってしまうという展開で驚きました。
でも、『カラフル』なども読んでいたので、森さんらしい話だなぁとも思いました。
重い現実の物語からいきなりファンタジーに突入するという唐突さというか境界線の薄さというのは、森さんの持ち味でもありますが、初めて読んだ人はびっくりするかもしれません。
少々読み手を選ぶところがあるかもしれませんが、私はこの世界観がとても面白いと思いました。
リアリティとファンタジーとの境界線が、そのまま生と死との境界線という、この作品の肝になるテーマを象徴していると感じたからです。
生きることと死ぬこととは、対極にありながら実はとなり合わせ。
自転車の力を借りてその境界線を越え、死者たちの世界へ行ってしまう環。
そのいい意味での「軽さ」が、重いテーマを持ったこの作品を非常に読みやすいものにしています。


そういった生と死を対比させる物語の中で、ファンタジー要素と熱血スポ根要素が同居しているのがまた面白いです。
冥界に自力で行くために40キロ走れるようになると決めて孤独な練習をしていた環を、自らが結成したジョギングチームにスカウトする変人「ドコロさん」。
チームも、年齢層も職業も性別もバラバラの個性派揃いです。
一人ひとりの人物造形が丁寧で、個性豊かでありながら、現実にいそうにないというような行き過ぎ感はありません。
そして、そんな個性的な人間が集まれば、必ずそこにはさまざまな感情のぶつかり合いも起こります。
同じ目標を目指すという一体感や友情、恋愛感情というプラスの感情はもちろん、立場の違いから来る妬みや嫉みといったマイナスの感情も。
チーム内はゴタゴタを繰り返し、環も怒ったり傷ついたりします。
さらには、冥界にいる家族がだんだん「本当の死」に近付き、どんどん変わっていくことで、再び家族を失う悲しみと孤独感を感じることにもなります。
ですが、身を引き裂かれるような別れのようなつらいことや、人間関係の軋轢といったしんどいこと…それらこそが生きるということだと気付き、少しずつ前向きになっていく環の姿が爽やかで、思わず涙が出ました。


結末をありがちでご都合主義的な大団円にしなかったのも、森さんらしいなと思いました。
一風変わったマラソン小説ですが、マラソンの苦しさも楽しさもどちらもちゃんと描かれています。
軽快でクスッと笑えるコメディータッチでもあり、重いテーマをさらりと読ませる筆力が素晴らしいと思いました。
涙あり、笑いありの、とても心地よいファンタジーマラソン小説であり、森さんにしか書けない独特の世界が楽しい作品です。
読んでいて、知らず知らずのうちに元気が出ました。
☆5つ。