tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『百瀬、こっちを向いて。』中田永一

百瀬、こっちを向いて。 (祥伝社文庫)

百瀬、こっちを向いて。 (祥伝社文庫)


「人間レベル2」の僕は、教室の中でまるで薄暗い電球のような存在だった。野良猫のような目つきの美少女・百瀬陽が、僕の彼女になるまでは―。しかしその裏には、僕にとって残酷すぎる仕掛けがあった。
「こんなに苦しい気持ちは、最初から知らなければよかった……!」 
恋愛の持つ切なさすべてが込められた、みずみずしい恋愛小説集。

読みやすい文章とストーリーの面白さですいすい読めて、気がついてみれば一気読みでした。
とても気持ちのよい恋愛短編集でした。


4つの短編恋愛小説が収められていますが、そのどれもに共通するのはほんの少しのミステリ要素で味つけされていること、そして主人公が恋愛には縁遠い(と自分では思っていた)地味な存在であることです。
表題作「百瀬、こっちを向いて。」は、尊敬する先輩が二股をかけていることをカモフラージュするために、百瀬という少女と偽りの交際をする羽目になる高校生の話。
「なみうちぎわ」は、海でおぼれて意識を失ったまま数年が経ち、奇跡的に意識を回復したところ、家庭教師として教えていた小学生の男の子が自分の学年を追い越していて、先生と生徒の立場が逆転する女子高生の話。
「キャベツ畑に彼の声」は、アルバイトである覆面作家のインタビューのテープ起こしをしていて、その覆面作家が憧れの国語の先生だということに気付いてしまった女子高生の話。
そして最後の「小梅が通る」は、自分の美しい顔を化粧で不細工にして偽りの姿で高校に通う少女が、クラスの男子に偶然素顔を見られてしまうという話。
どれも高校生らしく爽やかで瑞々しい初恋が描かれていて、そんな時代をとっくに通り過ぎてしまった大人としてはくすぐったいやら照れくさいやら…。
でも、その爽やかさゆえに、少しも不快ではないのです。


あらすじからも分かるように、設定は少々現実離れしているというか、漫画っぽい部分があります。
けれども登場人物は妙にリアリティがあるというか、ああ、確かに学生時代こういう地味なタイプって必ずどのクラスにもいたよね、と思わせる人物が主人公なので、恋愛のきっかけになるシチュエーションが少々漫画じみていてありえそうになくても許せてしまいます。
地味で、とりえもなくて、恋愛などすることもなく一生を終えるだろうと考えていた主人公たちが、それぞれのきっかけから淡い恋に目覚め、その恋心が育っていく過程が切なく、胸がきゅんとします。
さらにはほんの少しミステリ的な仕掛けも施されていて、少しの驚きも用意されているのが、ミステリ好きにはうれしいところです。
とは言え、ストーリーの展開はミステリのような劇的などんでん返しがあるわけではなく、あくまでも淡々と静かに物語が進みます。
それがとても心地よく、ありえない設定でありながら、このくらいの奇跡ならば自分にも起こりうるかもしれないと思わせてくれるのが、とても巧いなぁと感心しました。


そして、最後に触れずにはおれないのが作者の中田永一さんという「新人恋愛小説家」についてです。
実はこの「中田永一」さん、某人気作家の別名義であることが、その人気作家本人の口から昨年明らかにされました。
私はそのことを知ってからこの作品を読みましたが、もし知らずに読んでいたとしても、その正体を薄々察することができたのではないかという気がしました。
少なくとも「某人気作家さんと作風が似ているなあ」とは思っただろうと思うのです。
そもそも「中田永一」さんは、本気で自分の正体を隠す気はなかったのではないか…と思うのは深読みでしょうか。
というのも、この短編集全体を通して、作者の正体をほのめかすいくつかのヒントが散りばめられていると思うのです。
ミステリ的な味つけの作品に定評があるこの作家さんのことですから、意図的にそれをやっていたということもありえるように思います。
そんな「推理」ができるという点でも、面白い本だなぁと思いました。


別名義であれなんであれ、また新作が読めると思うとうれしいです。
次回作にも期待しています。
☆4つ。