tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『モダンタイムス』伊坂幸太郎

モダンタイムス(上) (講談社文庫)

モダンタイムス(上) (講談社文庫)

モダンタイムス(下) (講談社文庫)

モダンタイムス(下) (講談社文庫)


恐妻家のシステムエンジニア渡辺拓海が請け負った仕事は、ある出会い系サイトの仕様変更だった。けれどもそのプログラムには不明な点が多く、発注元すら分からない。そんな中、プロジェクトメンバーの上司や同僚のもとを次々に不幸が襲う。彼らは皆、ある複数のキーワードを同時に検索していたのだった。

『魔王』の50年後の世界を舞台にした作品。
『魔王』を読んでいなくてもおそらくそれなりには楽しめる作品だとは思いますが、『魔王』を読んでいた方が作品の理解度は深まるかな。
と言うよりも、私としては『魔王』の方があまりよく分からなかった感があり、この『モダンタイムス』でようやく分からなかった部分も補完されて、伊坂さんが書きたかったものが少し理解できたように思います。


主人公はシステムエンジニアの渡辺。
浮気に厳しい(厳しすぎる?)奥さんがいます。
渡辺がある日担当することになった仕事は、「ゴッシュ」という謎の会社から受注した出会い系サイトの仕様変更で、一見何のことはない簡単な仕事に思われました。
ところがその仕事を最初に担当することになった先輩は突如謎の失踪を遂げ、出会い系サイトの仕様には不明な部分が多く、「ゴッシュ」に確認したいことがあっても連絡がつかないという不思議な状況が次々に明らかになります。
そして、その仕事に絡んでさらに奇怪で恐ろしい出来事も起こり始め…。


システムエンジニアの仕事のことやネットワークの仕組みなどずいぶん詳しく細かく書かれているな、と思っていたら、伊坂さんは元システムエンジニアだったのですね。
詳しくて当然ですが、そこから発想を広げていって、監視社会や国家の仕組みといったものを描くスケールの大きな作品世界を作り上げているのがすごいなと思いました。
この作品の世界は今より少し未来の日本が舞台になっていますが、未来の社会を描きながら、実際にあらわにされているのは現代の社会であるというのが面白いです。
分からないことに出会ったときに、人がまず行うのは、インターネットでの検索。
これは現代でもすでにそうなりつつあります。
何か分からないことがあったらとりあえずググってみよう、そんな人はどんどん増えているはずです。
ところが、もしもその検索内容が監視されていたとしたら…?
検索エンジンで何を調べたか、どんなキーワードを入力して、検索結果からどんな情報にアクセスしたか、そういった情報が個人のデータと結び付けられて、何者かに収集されていたとしたら。
それがたとえ悪意からなされることではないとしても、なんとなく気持ち悪い、ちょっと嫌な感じがどうしてもしてしまいます。
ましてやこの作品で描かれるような、ある特定のキーワードの組み合わせで検索した人間に、次々恐ろしいことが起こるようなことがあるとなると、これは怖すぎます。
もちろんこれはこの物語の中の出来事で、伊坂さんが作り上げたフィクションですが、ここまでいかなくても何らかの監視が全く行われていないと本当に言い切れるのでしょうか。
そう考えるとぞっとしましたが、その怖さ、気持ち悪さは情報化社会にはずっと付きまとうものなのかもしれないとも思いました。


そして、もう一つの怖さ、気持ち悪さは、国家だとかシステムだとかという、実態のよく分からないあいまいな存在です。
ゴールデンスランバー』でも、主人公は正体不明の何者かの企みによって首相暗殺犯に仕立て上げられ、絶体絶命の逃亡を余儀なくされます。
そういう、黒幕が誰なのかはっきり分からない、個人の力ではどうすることもできない何か大きな力に翻弄される恐ろしさがこの作品でも描かれています。
確かに、この社会に生きていると、自分ではどうすることもできない、誰を恨んでいいのか分からない、何か理不尽な仕組みとか運命とか、ぼんやりとして実体があるのかどうかも定かでないようなものの存在を感じることがあります。
伊坂さんに言わせるとそれが「システム」であり、「そういうふうにできている」ものなのだということになるようです。
世界中でいろいろな出来事が起こって、目まぐるしく事態が移り変わってゆく中で、ちっぽけな存在である個人はただただ自分の目の前の仕事をこなしていくしかなくて…。
そしてその仕事は自分でも知らないところで繋がりあって、社会だとか国家だとか世界だとかといったもっと大きなシステムに影響し、動かしていく。
そこには別に黒幕がいるわけでも何でもなくて、ただその大きなシステムを存続させるための意思が働いているというだけなのだと。
よく分かるようで分からないような、ちょっとつかみどころのない話のようにも思えましたが、感覚的には分かるような気がするのでなんとも不思議な読後感でした。
確かに自分ではどうしようもない、「ただそうなっている」から受け入れるしかないというようなことはありますし、国家とは、社会とは何かを論じようとすると、あまり明確な定義はできなくて、大雑把で概念的な説明にしかならないように思います。


何か大きなシステムの中に自分自身が組み込まれているという不安と、無力感を掻き立てられましたが、同時にその得体の知れない敵(?)に立ち向かっていこうとする主人公たちの姿に勇気付けられる部分もあって、いろいろな感情がごちゃ混ぜになると同時にあれこれ考えさせられる作品でした。
もちろん、ウィットに富む会話や映画や音楽などからの引用、個性的な登場人物といった、作品を彩る小道具も、いつもの伊坂作品らしく小気味よくて魅力的でした。
最近の伊坂作品は賛否両論のものが多いようですが、私は今のところどの作品も楽しめているし、これからも期待していきたいです。
☆4つ。