tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『海と毒薬』遠藤周作

海と毒薬 (角川文庫)

海と毒薬 (角川文庫)


腕は確かだが、無愛想で一風変わった中年の町医者、勝呂。彼には、大学病院の研究生時代、外国人捕虜の生体解剖実験に関わった、忌まわしい過去があった。病院内での権力闘争と戦争を口実に、生きたままの人間を解剖したのだ。この前代未聞の事件を起こした人々の苦悩を淡淡と綴った本書は、あらためて人間の罪責意識を深く、鮮烈に問いかける衝撃の名作である。解説のほか、本書の内容がすぐにわかる「あらすじ」つき。

今年の角川文庫の夏のキャンペーンで、表紙が和の手ぬぐい柄になってるのが何冊かあり、素敵なデザインだな〜と思ったので、未読だった『海と毒薬』を買ってみました。
遠藤周作さんの作品はけっこう好きなのです。
でも、薄い本だからすぐに読めるかと思いきや…中身は非常に重くて、読むのにだいぶ時間がかかってしまいました。


時は戦時中。
「病院で死ななくても空襲で死ぬ」という、人の死が当たり前のような空気が漂う中、九州のある大学病院では、医者たちの権力争いや手術の失敗など、さまざまな事件が起こっていました。
そしてある日、米軍の捕虜が数人病院に連れてこられます。
その捕虜に対して行われたのは、恐るべき生体解剖実験でした…。


日本人は、罰は恐れても罪は恐れない。
この作品にはそう書かれています。
その例として、米軍捕虜の生体解剖に関わった人々の過去の「罪」が手記という形で語られる箇所があります。
作文に嘘を交えて先生の評価を得る、人に罪を着せる、姦通を犯す、手をつけた女中を危険な方法で堕胎させる…。
少しずつ罪深さは増していくのに、その人物は罪自体は恐れないのです。
他人の目や社会から受ける罰は恐れて、びくびくしているけれども。
そして、罪を犯すことへの恐れがないまま、生体解剖=殺人に関わっていくことになるのです。


遠藤周作さんはクリスチャンなので、どうしても「罪」というと「原罪」を連想します。
そういうキリスト教思想と比べると、確かに日本人には罪そのものを恐れる意識は薄いのかもしれないと思います。
罪を暴かれて罰されることは怖い、世間から罪人として白い目で見られることも怖い…そちらの意識の方が強いというのは分かるような気がしました。
自分も同じ日本人として、罪を恐れる意識の希薄さに関して言えば、生体解剖事件に関わった人たちと同じなのだと気付き、思わずぞっとしました。


でも、確かに生体解剖事件は非人道的で残虐な事件なのだけれど、だからと言ってこの解剖を行った人たちがみんな極悪非道の異常者だったかというと、全然そうではないと思うのです。
過去の戦争であれ、現在の戦争であれ、戦争には残虐行為が付き物です。
どうして同じ人間に対してそんなことができるんだろう…と思ってしまうような、信じたくないほどのひどい行為もあります。
でも、それをやっている人間のほとんどは、きっとごく普通の人間だと思うのです。
戦争さえなければ、きっと普通の息子であったり、夫であったり、父親だったりするのだろう…と。
本当に世界が喜んで人殺しや残虐な行為を行う人たちばかりであったらなら、もうとっくに人類は滅びていただろうから。
本当の極悪非道は、実際には自らの手では罪を犯さないのでしょう。
戦争を起こして、普通の人たちに罪を犯させるだけで。
普通の人たちを異常な残虐行為ができる人間に変えてしまう戦争の恐ろしさに、改めて戦慄しました。


人間の弱さや罪深さが不気味に描き出されている作品でした。
自分の中にもそうした暗黒の部分があるのだろうか…と考えさせられ、怖くもありましたが、読んでよかったと素直に思えました。
あまり文学くささがなく、内容の重さはありますが、比較的読みやすいのもよかったです。
☆4つ。