tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『香菜里屋を知っていますか』北森鴻

香菜里屋を知っていますか (講談社文庫)

香菜里屋を知っていますか (講談社文庫)


ビアバー香菜里屋は、客から持ちこまれる謎がマスター・工藤によって解き明かされる不思議な店―。常連客は、工藤による趣のある料理とともにこの店を愛していた。だが、その香菜里屋が突然たたまれてしまう。そして若かりし頃の工藤の秘密が明らかになる。シリーズ完結編。未完となった「双獣記」も収録。

『花の下にて春死なむ』『桜宵』『螢坂』と続いてきた連作短編集シリーズの完結編。
楽しみに読み続けてきたシリーズがついに完結してしまった…という寂しさ、ストーリーのほろ苦さ、そして、昨年はじめに作者・北森鴻さんが48歳の若さで急逝されたという事実…。
切ない読書になりました。


三軒茶屋にひっそりとたたずむビアバー・香菜里屋。
アルコール度数の異なる4種類のビールと、絶品料理の数々、マスター・工藤の押し付けがましくない穏やかな人柄。
そして、何よりもこの店の特徴は、客が持ち込む謎が工藤の名推理によって美しく解かれてゆくこと…。


シリーズ完結編にふさわしい、別れの切なさが沁みる作品です。
これまでに登場した香菜里屋の常連客たちの旅立ちと新たな人生の始まりがひとつずつ描かれ、最後には工藤自身が香菜里屋をたたんで姿を消すことになります。
ずっと謎のままだった工藤の過去と香菜里屋という店名の由来も明かされます。
思わずよだれが垂れてしまいそうな、美味しそうな料理の描写の数々や、工藤と常連客たちとの会話の妙など、シリーズを通してすっかりおなじみとなった要素を楽しみつつも、全てが物語の終わりへと向かっていくのが寂しくて切なくて。
謎解きもその解決も、いつになくほろ苦いものが多いように思います。
バーという舞台は、さまざまな人の人生が交錯する場所。
そのことを強く感じさせる話が詰まっていると感じました。
特に次の文章が胸に響きました。

負けるな、くじけるな、立ち向かえ、その言葉の重みに耐え切れぬことが、人生のシーンにはままある。どうしてここで立ち止まってはいけないのか、後ろを振り返ったっていいじゃないか。ほんの少しだけ、しゃがんで地面を見つめるくらい、どうってことはない。そう思える人は幸せだし、本当の強さを身につけているといってもよいだろう。けれど多くの人は前を見つめられない自分を責め、立ち止まってしまったわが身を鞭で打つ。
かくして、悲劇は起きる。逆もまた然り。


72ページ13行目〜73ページ3行目より


でも、4作続いたシリーズ物の幕引きとしてはちょっと物足りない、盛り上がりに欠ける…と思えてしまう部分もありました。
マスター・工藤に関しても、まだ少し謎を残したままで、ちょっとすっきりしないまま終わってしまっているという印象なのです。
個人的な希望としては、もっとすっぱりと完全に幕を引いてほしかった気がします。
ただ、こうして含みを持たせたまま終わらせたのは、もしかしたら今後も他の作品で工藤や香菜里屋を少しでも登場させるつもりが作者にあったからではないか…とも思えるのです。
それを考えると、改めて北森さんの早すぎる死が悔やまれてなりません。


巻末には未完となってしまった歴史ファンタジー「双獣記」が収録されているのですが、さあこれから物語が盛り上がっていくぞというところで終わってしまっていて、とても残念に思いました。
本当に、北森さんにはもっと生きてほしかった。
まだまだたくさんの作品を生み出し続けてほしかった。
返す返すも残念でなりませんが、ご冥福を祈りたいと思います。
素敵な作品たちをありがとうございました。
☆4つ。