tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『夜想』貫井徳郎

夜想 (文春文庫)

夜想 (文春文庫)


事故で妻と娘をなくし、絶望の中を惰性でただ生きる雪籐。だが、美少女・天美遙と出会ったことで、雪籐の止まっていた時計がまた動き始める。やがて、遙の持つ特殊な力は、傷ついた人々に安らぎを与え始めるが…。あの傑作『慟哭』のテーマ「新興宗教」に再び著者が挑む。魂の絶望と救いを描いた、渾身の巨篇。

著者のデビュー作『慟哭』と同じく新興宗教をテーマにしてはいますが、『慟哭』とはそもそも描きたいものが違うのではないかと思います。
少なくとも、私はこの作品に『慟哭』とは全く違う印象を持ちました。


主人公は交通事故で最愛の妻と娘を亡くした30過ぎのサラリーマン、雪籐。
生きる意味を見失い、暗闇の中をさまよっていた雪籐は、ある日街中で定期入れを落とします。
その定期入れを拾った女子大生、天美遙は、物に触れるとその物の持ち主の記憶や心が読めるという特殊能力を持っていました。
雪籐の定期入れを拾ったことで彼の悲しみを知り、涙を流す遙に、雪籐は救いを見出します。
遙の特殊能力や他愛の精神でより多くの人を救いたいと願った雪籐は、遙を世に送り出そうと奮闘しますが、遙の元に救いを求めて集まってきた人々はやがて組織化され、雪籐の思い通りにはならなくなっていきます。


新しい宗教が生まれる過程とはこんな感じなのかなぁ。
最初は小さな集まりだったものが、少しずつ人が増えてくるにつれ制御の難しいものとなっていき、当初の理念とはかけ離れた部分も出てくる。
宗教に限らず会社やサークルなど、どんな集まりでもそうなのだと思いますが、集団が大きくなっていく過程はワクワクする部分もある一方で、思惑通りにはいかなくなる怖さも感じました。


雪籐が遙や遙を慕う人たちと共に作った団体「コフリット」は宗教とは少し違うのかもしれません。
傍から見ると宗教にしか見えない部分ももちろんありますが(遙を神のように崇める人がいたり、遙の特殊能力を売りにしていたり)、そもそも雪籐は宗教を求めていたわけではなく、ただ救いを求めていただけです。
自分を絶望の暗闇から救い出してくれるならば、宗教であろうとなかろうと、何でもよかったのだろうと思います。
でも結局、何かに縋りたい、救われたいという人々の気持ちが太古の昔から宗教を生み出してきた原動力であったことも、紛れもない事実です。
雪籐の救いを求める思いと遙の特殊能力とが出会ったことにより、それは宗教のようなものへと発展していきました。
この作品は新興宗教を決して否定してはいません。
中には弱い人々の救いを求める気持ちにつけ込んで高額のお布施を要求したりするような宗教もあり、それはもちろん許されないことですが、そもそも救われたいと願う人々の気持ちは純粋なもので、その願いを元に生まれる宗教自体は別に悪いものではないのだという大前提がこの作品の根底にあるように感じられました。
宗教というものを理解しようともしないで完全な拒絶反応を示す人は、特に日本人には少なくないように思いますが、人間の心理や精神を語る上で宗教は外せないものです。
絶望のどん底で苦しんでいる人間にとって本当の救いとは何なのかというテーマを通して、宗教とはそもそもどのようなものかを考えさせてくれる作品だと思いました。


救いのない結末だった『慟哭』やその他の貫井作品に比べると、この作品は最後に本当の「救い」が訪れるので読後感はよかったです。
ただちょっと、話が長すぎたような感じもしました。
題材は悪くはないのですが、ミステリ色はほとんどありませんし、いつもの貫井さんの作品に比べると引っ張る力が弱いようにも思えました。
やっぱり貫井作品はミステリの方が私は好きかなぁ。
☆4つ。