tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『切れない糸』坂木司

切れない糸 (創元推理文庫)

切れない糸 (創元推理文庫)


周囲が新しい門出に沸く春、思いがけず家業のクリーニング店を継ぐことになった大学卒業間近の新井和也。不慣れな集荷作業で預かった衣類から、数々の謎が生まれていく。同じ商店街の喫茶店・ロッキーで働く沢田直之、アイロン職人・シゲさんなど周囲の人に助けられながら失敗を重ねつつ成長していく和也。商店街の四季と共に、人々の温かさを爽やかに描く、青春ミステリの決定版。

先日坂木司さんの『シンデレラ・ティース』を読んですごくよかったので、今回も期待していました。
『シンデレラ・ティース』は歯科医院が舞台の日常ミステリでしたが、今度は昔ながらの下町人情あふれる商店街の中のクリーニング屋さんが舞台。
期待を裏切らない、心温まる作品でした。


やっぱり「日常の謎」はいいなぁ。
基本的にミステリが好きで、謎解きが好きな私ですが、本格ミステリではあまり「心温まる」ような読書体験はできないんですよね。
話の性質上それは仕方のないことですが、人が死にまくる殺伐とした話は読みたくない気分の時だってもちろんあります。
北村薫さんや加納朋子さんなどの作家を代表とする「日常の謎」ミステリは、謎解きの面白さを楽しみつつ、心温まるストーリーでホッとさせてくれるという、1冊で2度おいしい小説なのです。
その日常ミステリの代表的作家のラインナップに坂木司さんが加わろうとしていることが、とてもうれしいです。
本作『切れない糸』は舞台が商店街で、主人公・和也は子どもの頃からその商店街で育った、クリーニング屋さんの跡継ぎ息子。
別に跡を継ぎたかったわけではなく、成り行きで家業を継ぐことになってしまい、企業への就職を決めた大学の同級生たちのスーツ姿に引け目を感じたり、クリーニング屋という仕事に誇りも持てなかった和也ですが、下町ならではの濃密な人間関係の中で仕事をしていく中で少しずつ社会人として成長していき、顧客や商店街の人たちにも受け入れられていきます。
この生活感あふれる感じがとてもいいです。
クリーニング屋という商売自体、とても生活に密着していると言えますが、物語も本当に近所にありそうな商店街の生き生きとした様子が描かれていて、その中でさまざまな人がささやかな暮らしを営んでいて…というのが目に浮かぶのです。
そんな世界の中で起こる謎。
生活に密着していると言うか、地に足着いていると言うか。
派手なことは起こらないけれど、誰のどんな日常の中にもあるいろんな出来事をすくい上げていくような物語。
これぞ「日常の謎」ミステリの理想の形だと思いました。


本作の日常ミステリとしての魅力はそれだけにとどまりません。
作中でとても感銘を受けた部分があったので、本文そのまま引用してみます。

不思議なことがあって、その謎を解く。けれど謎を解いた後には、残るものがある。それは謎に関わってしまった人たちの心のもつれだ。推理小説じゃないんだから、謎を解いて「さあどうだ。合ってるだろう」と言ったところで現実は何も進展しない。原因がわかったなら、次はどうするかを考えなきゃ、前に進むことはできないんだ。


291ページ 9〜12行目

これはまさに坂木司さんの日常系ミステリ作家としての哲学を表しているんだろうなと思います。
坂木さんの作品が気持ちよく読めるのは、謎を解いた後のアフターフォローが行き届いているからなのです。
謎解きが最終目標ではなく、謎の背景に隠れていた問題を解決することが最終目標。
原因を探って、何が問題点かが分かったら、その問題をどうすれば解決できるか考える。
それはまさにクリーニング屋が衣類についた汚れの原因を探り、その汚れを落とす最善の方法を見つけ出す過程そのもので、坂木さんが理想とするミステリとの意外なほどの相性のよさに、感心させられました。
そして、問題を解決するためにはその道のプロフェッショナルが必要。
和也のクリーニング屋に腕利きのアイロン職人・シゲさんがいるように、謎解きにおいてはすばらしい安楽椅子探偵ぶりを発揮する(多少自分で実地調査もやっていますが)和也の友人・沢田がいる。
作中に商店街のことを「小さな規模のプロフェッショナル集団」と表現している箇所がありましたが、まさにその通りだと思いました。
世界を舞台に活躍するようなことはなくても、旬の魚の調理法だとか、おいしい野菜の見分け方だとか、シャツにつけてしまった染みの取り方だとか、そういった特定の分野に関して「困ったらこの人に聞けば安心」という信頼がおける人物が集まっているんですね。
主人公・和也はまだまだ新人もいいところですが、いつかきっとプロフェッショナルとして独り立ちしていく日が来るのでしょう。
この物語はシリーズ化していくとのことなので、和也のプロへの道のりが読めるのが楽しみです。


クリーニングに関してしっかり取材もされており、いろいろ役立つ知識が身につくのも本書のいいところ。
服がクリーニングから返ってきたら、ついてきたビニールはすぐに外した方がいいそうですよ。
なぜかって?
それは本書をお読みください、ということで。
☆5つ。




♪本日のタイトル:竹内まりや 「縁(えにし)の糸」 より