tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『一瞬の風になれ』佐藤多佳子

一瞬の風になれ 第一部 -イチニツイテ- (講談社文庫)

一瞬の風になれ 第一部 -イチニツイテ- (講談社文庫)

一瞬の風になれ 第二部 -ヨウイ- (講談社文庫)

一瞬の風になれ 第二部 -ヨウイ- (講談社文庫)

一瞬の風になれ 第三部 -ドン- (講談社文庫)

一瞬の風になれ 第三部 -ドン- (講談社文庫)


春野台高校陸上部、一年、神谷新二。スポーツ・テストで感じたあの疾走感…。ただ、走りたい。天才的なスプリンター、幼なじみの連と入ったこの部活。すげえ走りを俺にもいつか。デビュー戦はもうすぐだ。「おまえらが競うようになったら、ウチはすげえチームになるよ」。
吉川英治文学新人賞本屋大賞ダブル受賞。

読むのを楽しみにしていた陸上小説・その2(その1は『風が強く吹いている』です)。
ボリューム満タンで非常に読み応えのある作品でした。


神奈川県の公立高校の陸上部を舞台に、ショートスプリントと4継(4×100メートルリレー)の魅力が存分に味わえる小説です。
三浦しをんさんの『風が強く吹いている』と比べると、こちらの作品の方が陸上の理論的な部分も盛り込んで、本格的に真正面から陸上競技を描いているという気がしました。
私には縁のない体育会系の世界ですが、それほど厳しい上下関係があるでもなく、熱血根性論ばかりが説かれるわけでもないので、とても物語に入り込みやすかったです。
男子高校生の軽妙な話し口調で、短文をスピードに乗っていくつも重ねていくような語り口は、短距離走のスピード感に合っていて、流れるように読ませるいい文章だと思いました。
そんな文体で描かれる短距離種目とリレー種目は、その魅力が存分に伝わってきました。
男子100メートルでは、たったの10秒強で勝負が決まってしまうんですよね。
選手たちはみんなその10秒強のためにたくさんの時間をかけてトレーニングと調整をして勝負に挑むんだなと思うと、なんとも言えず熱い気持ちになりました。
リレーにしても、バトンの受け渡しだけでも血の滲むような練習を繰り返して、バトンをつなぐ4人全員が全力の走りが出来るように努力するその過程に感心したり感動したりで、8/15から始まる世界陸上が楽しみになってきました。
陸上ってシンプルに見えるのに、奥が深いスポーツだなぁ。


登場人物たちもとても魅力的でした。
ものすごいあがり症の主人公・新二の成長ぶりは本当に読んでいて気持ちがよかったですし、連をはじめとするチームメイトたちとの関係も爽やかで高校生らしくてとてもよかったです。
新二のお母さんもすごくいい味を出していて、具体的な人物像が頭の中でとても描きやすいキャラクターでした。
それから、陸上部の顧問の三輪先生がいい!
「○○してはいけない」という否定の言葉ではなく、「××してみろ」という肯定の言葉で生徒を説教できる先生ってなかなかいない、貴重な存在だと思います。
体育系の部活の顧問としてはあまり熱血系ではないですが、とてもいい指導者だと思いました。
こんな先生に出会えた生徒たちは幸せですね。
新二と、チームメイトの谷口若菜との淡い恋物語も爽やかでよかったです。
しゃべれども しゃべれども』を読んだ時も思いましたが、うまく考えや思いを言葉に出来ないもどかしさや、少しずつ芽生えていく恋心を描かせると佐藤多佳子さんは本当にうまいなと感じました。
体育会系の世界を描いた作品なので人間関係は濃密ですが、それが暑苦しすぎずうっとうしくなく気持ちよく読めるのは、登場人物1人1人の心情を丁寧に描いているからだと思います。
ラストの方で陸上部のOBたちが手作りの鉢巻を持って新二たちを激励に来る場面は、なぜだか泣けて泣けて仕方ありませんでした。
体育会系の人間関係も悪くないな。
高校生っていいなぁと思いました。


私は普段から佐藤多佳子さんのブログを読ませていただいているので、佐藤さんの好きなサッカーの話や奥田民生さんの曲などが登場すると、きっと自分の好きなものを楽しんで書かれたんだろうなぁと思って、こちらまでうれしい気持ちになりました。
この暑い真夏に読むのがぴったりの、熱い熱い大作でした。
☆5つ。