tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『この世界の片隅に(下)』こうの史代

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)


昭和の戦中。広島市から軍都呉市に嫁いだすずは、不器用ながら北條家に徐々に溶け込み日々を過ごす。やがて戦争の暗雲が周囲を色濃く染めていく。大空襲、原爆投下、終戦。歴史の酷い歯車が一人の女性の小さな世界をゆがませていく。そして…。読む者の心を揺さぶる最終巻!

う〜ん、中巻の感想を書いてからだいぶ間が空いてしまった…。
読了から時間が経ってしまったけれど、なんとか読了直後の新鮮な気持ちを思い出しながら書きたいと思います(^_^;)


最終巻。
歴史上何が起こるのかは、読む前から分かっていること。
だから覚悟して読み始めたのですが…、予想に反して涙はそんなに出ませんでした。
もちろん悲劇は起こります。
でも悲しいという気持ちよりも、こうの史代さんの漫画家としての表現力に驚嘆する気持ちの方が勝ったのです。


特に「まるで左手で描いた世界のように」のひとコマには衝撃を受けました。
そういうことだったのか、と。
こんな表現方法があったのか、と。
ミステリ小説で時々「たった1行」に衝撃を受けることがありますが、このマンガは「たったひとコマ」で大きな衝撃を与えてくれました。
戦争を知らない世代が戦争を語ろうとする時、そこにはどうしてももどかしい気持ちが付きまといます。
どんなに想像力を働かせたところで、実際の戦場や空襲の現場にいた人にしか分からないことがたくさんあります。
写真や映像でいくら無残な視覚情報を得たところで、その場所のにおいや、熱さや、音を感じることは絶対にできないのだから。
実際に経験した人と、見聞きしただけの人とでは、情報量が圧倒的に違うのです。
いくら本を読んで、記録映像や写真集を見て、戦争体験者の話を聞いても、完全に戦争を知ることなどできない。
そんな人間が戦争について語っていいのか。
後の世代に戦争の記憶を語り継いでいくことなどできるのか。
こうのさんもそんな思いを抱かれたのではないかなと思いました。
だからこそ、少しでも主人公・すずの苦しみを理解しようとして、こんな表現方法に行き着いたのではないかと。


他にも、画材を変えることによって現実と非現実を描き分けるなど、こうのさん独特の表現方法が数多く見られます。
中には分かりにくい表現もあり、読む側も高い読解力を求められる作品だと思います。
おそらく一読しただけでこの作品の全てを理解することは不可能でしょう。
でも、何度も繰り返し読むことで、初読の時には気付かなかったことに気付くことがきっとあるはずです。
思えば『夕凪の街 桜の国』もそうでした。
2度目に読んだ時に皆実がワンピースを作ることを「うちはええよ」と断った理由に気付き、3度目に読んだ時には突然の打越氏の来訪に皆実が慌ててまくり上げていた袖を下ろす様子がさりげなく、でもきっちりと描かれていることに気付きました。
『この世界の片隅で』では一体どんな発見があるのか、これから何度も読み返していくのが楽しみです。


蛇足かもしれないけれど、この作品を読み終わったときに思い出したのは、この4月のMr.Childrenのライブでのこと。
「東京」という曲のラスト、「この街に大切な場所がある この街に大切な人がいる」と桜井さんが歌い上げた直後、スクリーンにほんの短い時間、行進する兵士の映像が映し出されて、ドキリとしたのでした。
戦争を知らない世代の人たちが戦争と平和を表現したものに触れると、なんだか勇気付けられる思いがします。
私には何ができるのかな。
はっきりしているのは…平和を求める理由なんて、「この世界の片隅に、大切な場所や人が存在する」、ただそれだけで十分だということ。
そして今この瞬間にも、この世界の片隅に、戦争が行われている場所が確かにあるのだということ…。




♪本日のタイトル:Mr.Children 「花の匂い」 より